2008年03月28日

ちょっと怖い話

今日は息子の幼稚園の卒業式に行ってきました。
早いものです。
ついこの間生まれたような気がしますが、6月には小学生です。
年をとるわけですよね。

そんなこととは関係のないちょっと怖い話です。

今日のお話はそんなに前のことではありません。
どちらかというと最近の話です。
昨日、長編を書き終えたので、今日は軽く書こうと思っています。

フィリピンでは、昔から人をはねたらややこしいので、息の根を止めてしまえ!とよく言われていました。
私も、この話は何度か聞いたことがありました。
変に生きていますと治療や入院にお金がいくらかかるかわからないので、死んでもらったほうがいいというのです。
交通事故を起こしたほうとしては、なんとなく計算としてはわからないわけでもありませんが、良心が許さないのが普通だと思います。
フィリピンは怖いところだよ!という話をするときに、よく引用していました。

3年位前のことです。
知り合いの彼女の妹が、会社から帰る途中に交通事故にあいました。
ジープニーから降りて、歩いている途中に乗用車にはねられたそうです。
カビテのちょっと奥のほうの出来事でした。

はねられて、彼女は道路に投げ出されました。
はねた車は、少しスピードを落としましたが、何事もなかったかのように走り去って行ってしまいました。
と思えたそうです。
ほんの少し後で、この車がものすごいスピードで引き返してきました。
そして、彼女に向かってきたのです。
あわててその辺の家の庭に逃げ込みました。

人をはねたら止めを刺せというのは、単なるたとえ話だと思っていたのですが、本当にそういう風にしようとするやつがいるんですね。
恐ろしい話です。
彼女は、逃げ込んだ家の人に助けられました。
幸い、ひどい怪我はしていなかったようです。
庭に逃げ込んだのを見た車は、今度こそ何事もなかったようにどこかに行ってしまったそうです。

本当に殺されると思った・・・・。
彼女は、ひどいショックを受けていました。
怖い人たちもいるものですね。



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2008年01月06日

妊娠性糖尿病の話 〜その3〜

今日もゴルフでした。

今日はメンバーコースの月例会です。
毎月第一日曜日と決まっています。
昨日の後半のイメージが残っていたおかげか、だいぶよいゴルフができました。
メンバーも私以外に日本人が一人と韓国人が二人で、この日本人の方が結構無口な方だったおかげでほとんど口を利かないゴルフができました。
おかげで久しぶりにゴルフに集中、こういうゴルフができるのも月例会のよいところです。

スコアは、47−46の93でした。
ハンデが20ですので、ちょうど1オーバー。
17番でOBを打たなきゃ、2位になれてました。
というのは後の祭りですけど・・・・。

昨日の続きです。

奥さんの糖尿病はインシュリン注射と血糖値の記録のおかげで上手にコントロールすることができていました。
病院にいく回数も一日おきから週に二回、最後のほうは週に一度でよくなっていました。
そんな感じで、クリスマスシーズンを迎えて、いつものように大きなおなかで、ご馳走を作ったりしていたのです。
クリスマスがあけた1月3日のことです。
予定日までは、まだ3週間くらいありました。
私は、休みの前から約束していたゴルフに向かいました。
新年初ゴルフです。

スタートしてしばらくしたときに電話がかかってきました。
奥さんからです。
どうもおなかが痛いので、医者に行くといっていました。
気をつけていっておいでね。といってゴルフを続けます。
4ホールくらい終わったところでまた電話です。
『ドクターがこのまま生むといってるので、入院する。
たぶん、生まれるのは夜だから、家に帰ったら病院まで来て!』
・・・・『わかった』といって電話を切りました。

ゴルフというのはメンタルなスポーツですね。
この電話の後、私のゴルフはめろめろになりました。
確か120以上打ったと思います。

とにかくホールアウトして、軽く食事を済ませて家に向かいます。
家についてから、上の娘を連れて病院にいきました。
ドクターが、『少し早いけれど、もう十分赤ちゃんも育っているし、奥さんが毎日インシュリンの注射をするのも見ていられないので、このまま出産させます。いいですね?』
というので、
『お願いします。』と返事をしました。
奥さんが分娩室の入っている間に、こっちは病室の手配と入院手続きです。
(どうせだいぶ時間がかかるだろう・・・)
こっちもなれたものです。
なんといっても奥さんは6人目の子供です。
男の子だというのはもうわかっていました。

こうして、1月4日の早朝、一番下の子が生まれました。
2000年のことです。
奥さんの糖尿病は、出産の後すぐによくなっていました。
血糖値が元に戻ったのです。
女性の体というのは不思議なものですね。

ただ、油断するとまた糖尿病になるかもしれないので、十分注意して下さいねといわれていました。
それから5年後のことです。
奥さんの糖尿病はまた再発したのでした。



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2008年01月05日

妊娠性糖尿病の話 〜その2〜

今日はゴルフに行ってきました。

ひどいゴルフでした。
しばらくゴルフをやめようかな・・・というくらいの内容です。
とにかく、ショットがぶれすぎてどうにもなりません。
唯一の収穫は、上がりの2ホールを連続パーで上がれたこと。
17番ホールでやっとドライバーがまともに当たったのでした。

14番の3打目を打つときに、日本にいる弟から電話がありました。
祖父がなくなったそうです。
92歳でした。
自然死ですね。
12月24日に祖母がなくなったばかりでした。
祖母は89歳でした。
とっても仲のよい夫婦で、最後に手に手を取り合って旅立っていったとおふくろが言っていました。
うらやましい人生です・・・。

昨日の続きです。

入院は結局2週間に及びました。
インシュリンの投与と食事療法で血糖値をコントロールする以外に方法はないのです。
入院している間に、奥さんは糖尿病のクリニックにいってセミナーを受けさせられました。
ただ、ほとんど身になっているとは思えません。

退院したら、自分でインシュリン注射をしなければなりません。
それと、血糖値を測る機械を買ってきて、記録をつけなければなりません。
その方法などをクリニックで教わってきたのです。

2週間の入院の後に、ようやく血糖値が落ち着いてきて、退院することができました。
とはいっても、通院の日々が続いたので、入院しているのとあまり変わりません。
朝起きたら何かを飲んだり食べたりする前に血糖値を計ります。
計った血糖値は記録として残しておかなければなりません。
そしてインシュリンの注射です。
それから朝食を食べ、1時間後にまた血糖値を計るのです。
これを食事のたびに繰り返すのです。

最初のうちはインシュリンの量が多かったのですが、だんだん効果が出てくると少しずつ薬の量を減らしてくれました。
買い物や外出もOKです。

糖尿病というのは厄介な病気です。

血糖値が高すぎても、また低すぎても同じように気分が悪くなるのです。
インシュリンの注射をして薬が効きすぎると低血糖になってしまいます。
このときは飴をなめたり、ソフトドリンクを飲んだりして血糖値をあげてやらなければなりません。
逆に血糖値が高いときはインシュリンの注射をしなければならないのです。
症状だけでは、血糖値が高いのか低いのか。。。同じように気分が悪いんだそうです。

インシュリン注射は、太ももに刺します。
おなかでもよいそうですが、奥さんは赤ちゃんに刺さるといけない(そんなことはありえないのですが・・・)といって、ずっと太ももに注射していました。
だんだん注射を打つところが硬くなって来て、とってもかわいそうでした。

・・・つづきます。



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2008年01月04日

妊娠性糖尿病の話 〜その1〜

一番下の息子の誕生日でした。
早いもので8歳になります。

この子が生まれたときは、奥さんは妊娠性の糖尿病にかかりました。
わかったのは11月1日のお墓参りを直前に控えたときでしたので、たぶん10月29日ごろだったと思います。
1999年ですね。

私は、ちょっと早いハロウィーン休暇でゴルフに行っていました。
奥さんもこのころになりますと、子供のチェックアップについてこいといわなくなっていました。
ゴルフが終わって家に帰ってくると、奥さんがまだ帰ってきていません。
しばらくすると帰ってきました。

入院しろといわれたけど、お墓参りがあるので帰ってきたといいます。
相変わらずわがままな奥さんです。
後で聞いたのですが、このとき血糖値が400を超えていました。
ハロウィーンが終わったら入院するという約束をして、今日のところは帰ってきたようです。

インターネットで調べてみました。

妊娠性の糖尿病というのは、高齢出産で何人も生んでいる人に出やすいようです。
奥さんはこのとき35歳。
6人目の出産でした。
条件はクリアです。
メカニズムはよくわかっていないそうです。
私の理解では、だいたいこんな感じでした。
糖尿病のため、血液中の糖分を母体が吸収できなくなるため、栄養素の非常に高い血液が赤ん坊に送られます。
そのため、赤ん坊が胎内で大きくなりすぎるいわゆる巨大児になってしまいます。
母体が耐えられなくなると母子ともに非常に危険な状態に陥るというものでした。

お墓参りが終わった翌日、今度は私も一緒にドクターのクリニックに行きました。

当たり前の話ですが、ドクターの説明はインターネットで調べたないようとほぼ同じです。
ただ、数週間前にこの症状で、ドクターの患者さんが急に亡くなったということをお話していました。
彼女は、ドクターの言うことを聞かず糖尿病の治療をいい加減にやっていたようです。
患者さんを死なせたくないということで、ドクターの説得にも力が入っていました。
散々脅かされたというのが正直な感想でした。

早速、入院手続きです。
もともと私たちはその日は入院するつもりで来ていましたので、割りとスムーズに手続きができました。
ちなみに病院はマカティメディカルセンターです。
ドクターはまだ独身の30歳くらいの女のドクターです。
クリニックには、たくさんのエンジェルの人形がおいてありました。
いろいろな形をしたエンジェルたちが、デスクから棚まで本当にたくさん並んでいたのです。
単なるコレクションなのでしょうが、何か意味があるように見えて仕方がありませんでした。
このドクターは、産婦人科の先生だったのですが、ボーイフレンドがやはり同じ病院で働いていました。
このときは確かインターンだったと思います。
今はもう結婚したといううわさを聞いたことがあります。

少し前に、アキノ元大統領の娘で女優のクリスアキノの出産を主治医としてみたということで、一躍有名になりました。
日本だったらそんなの話題になりずらいのに、この国ではいつもこれです。
横道にそれました。

入院した後、今度は糖尿病のせんせいの診察を受けました。
この辺の医療チームの編成は、主治医である産婦人科のドクターが中心になって編成するのです。
早速、インシュリンの投与が開始されました。

長くなってきました。
続きます・・・。


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2007年12月17日

睡眠薬強盗にやられた話 〜その3〜

今日は朝からとてもよい天気です。
土日と連続ゴルフでしたので、体はだいぶ疲れています。

禁煙の誓いをたててからもう半年がたちました。
最近になって、気持ちが揺らいでいます。
ちょくちょくもらいタバコをしているのです。
禁煙は3回目。
一番最初の禁煙のときは2年続きました。
2回目の禁煙は3ヶ月。
今度は6ヶ月たちましたが、崩壊の危機に直面しています。

もう少しがんばりたいと思います。

少しでもニコチンを入れてしまうとすごくつらくなるということはよくわかっているのです。
『1本くらいはいいだろう』とか、『このくらいすったうちに入らない』とか、『家ですわなきゃ大丈夫』とか・・・。
いろいろと優しく言ってくれるスモーカーの方々の誘惑についタバコに手を出してしまっています。
土曜日のラウンド中に4本すいました。
昨日は1本もすっていません。
今日行くところのお客はかなりのヘビースモーカーなので、誘惑に耐えられるかどうか自信がありません。

・・・困ったものです・・・・

前振りが長くなってしまいました。

じゃぱゆきさんが朝ごはんを用意してくれました。
ルーガオというフィリピンのおかゆです。
しょうがを細かく刻んだものが入っていました。

『家はどこだ?』と聞かれて、マカティの住所を言いました。
『一人で帰れますか?』
今、どこにいるのかさえよくわかっていません。
毎日、会社の車で外出するときは運転手がどこにでもつれていってくれます。
携帯電話がなくなってしまっているので、運転手どころか、部下の日本人にすら連絡が取れません。
優しいじゃぱゆきさんが送ってくれることになりました。

トライシクルというオートバイの脇に座席をつけた乗り物に二人で乗り込みました。
(ここはどこなんだろう・・・)
しばらく走っていくと見覚えのある風景が目に飛び込んできました。
よくいくゴルフ場に向かう角の交差点です。
ちょっとしたショッピングモールになっています。
ここでトライシクルを降りました。
ここから先はトライシクルではいけません。
高速道路に乗らなければいけないのです。

ATMで、お金をおろしました。
タクシーを見つけて、彼女と二人で乗り込みました。
心配したじゃぱゆきさんが家までついてきてくれることになったのです。
やっと家に帰れます。

無事に家に着きました。
彼女にお礼をいって、少しのお金を渡しました。
彼女は恐縮して受け取ると帰っていきました。
親切な人がいてよかったですね。

この日は日曜日です。
社長は、ゴルフの約束をしていました。
ちょうどよいことに、この日のゴルフは11時のスタートです。
時計を見たらまだ9時前です。
運転手もまだ来ていません。

少し考えました。
ゴルフにいっても大丈夫だろうか?
頭はまだ重かったのですが、だいぶすっきりしてきました。

ひどく痛むということはありません。
ドタキャンをすると一緒に行くはずのメンバーから何を言われるかわかりません。
説明して根掘り葉掘り聞かれるよりもここは何食わぬ顔でゴルフに行ったほうがいいだろうという結論を出しました。

社長は、睡眠薬強盗にあってどこかよくわからない家で一夜を過ごした次の日にゴルフにいったのです。
すごい人でした。

ただ、ゴルフのスコアはぼろぼろだったみたいです。
あたりまえですよね!



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2007年12月16日

睡眠薬強盗にやられた話 〜その2〜

今日はゴルフでした。
少し曇っていたせいで暑くもなく、途中、雨が降りそうな気配もあったのですが、何とか持ちこたえてくれて、風もあまり強くない快適な陽気でした。
久しぶりに、後半43で上がれました。
昨日とはまるで別人のようです。
昨日が39パット。
今日は31パットでした。

やはり、ゴルフはパットです。
昨日とはぜんぜん気分が違うのです。

さて、昨日の続きです。

社長が寝ていたのは、サンタロサという町のとあるサブディビジョンの中の一軒の家のなかでした。
この家の女主人は日本に出稼ぎに行ったことのあるいわゆる”じゃぱゆき”さんでした。
目が覚めたのは朝の5時。
何がなんだかさっぱりわかりません。
『ここはどこ?私は誰?』という世界です。

じゃぱゆきさんがいきさつを説明してくれました。
前の日の夕方、たぶん5時過ぎくらいだと思います。
サブディビジョンの入り口の近くに社長がうずくまっていたそうです。
セキュリティガードが不思議に思って声をかけましたが、ぐったりとしていて返事もありません。
そのうち、人が集まってきました。
顔を見てみるとどうやら日本人のようです。
もちろん、れっきとした日本人ですから、
(もしこれが私だったら日本人と思ってくれるかどうか疑問ですけど・・・。)
余計な話でした。

日本人ならば、日本に行ったことがあって、日本語ができる彼女の家に運ぼうということになって、その家にみんなで運んできてくれたそうです。
事情を聞いた彼女は、『仕方がない』ということで社長を部屋に入れて介抱してくれました。
この辺の一番最後のところで、フィリピン人は確実に優しいのです。

そこまで聞いて社長は、昨日シティバンクの副社長という人に会って・・・・、
だんだん思い出してきました。
ひどくのどが渇いて、頭が重かったそうです。
『やられた・・・』やっと自分のおかれている状況に気がついた社長は、あわてて被害を確認しました。

まず、財布です。
財布そのものは残っていました。
現金は当然空っぽです。
クレジットカードやATMカードなどのカード類はそっくり残っています。
『よかった・・・』これ手続き面倒なんですよね。
携帯電話がありません。
メガネもありません。
とられたというよりも、これはどこかにいったんだと思います。
何よりも残念に思ったのが、買ったばかりの小物や食料品がなくなっていたことだというので、人間の感情というのは不思議なものですね。

こうしてみると被害はたいしたものではありませんでした。

次回に続きます。
もう少しお付き合いくださいね。

わーい(嬉しい顔)


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2007年12月15日

睡眠薬強盗にやられた話 〜その1〜


フィリピンも90年代に入って、ラモス大統領のときには『アジアの虎』と呼ばれて、経済的にも勢いに乗った時期を迎えたことがありました。
今はまったく面影がありません。
相変わらず、政争に明け暮れています。
このころには、日本の企業もずいぶん進出してきましたし、日本人にもいろいろな人がいました。
勢いがあったのです。

ある会社の社長さんの話です。
実に愉快な人でした。

そのころ、マニラでは睡眠薬強盗がはやっていました。
私の先輩のサンミゲルビールが大好きな人が、引っかかりそうになりました。

グリーンベルトのそばのパセオデロハスの交差点で信号待ちをしていたときに、スーツを着たちょっと裕福そうなフィリピン人が声をかけてきました。
『どこまで行くのか?』と聞かれて、
『ガダルペの家に帰るところだ。』と答えたそうです。
送っていってやるから車に乗りなさいといわれて乗せてもらったそうです。
シティバンクの副支店長の肩書きの名刺をくれて、ジュースでも出しなさいと運転手に声をかけました。
運転手が振り返ってジュースをくれたのですが、彼は甘いものは苦手でしたし、大してのども渇いていなかったので、『いらない。』と断りました。

すると、態度が一変したそうです。
『申し訳ないが、急用を思い出したので、そこの角で降りてくれ』といわれました。
車が止まって、降りようとすると、
『ちょっと待ってくれ。そのドアは中から開かないんだ。』といってドアを開けてくれました。

ジュースも飲まなかったし、あまりお金を持っているように見えなかったので、これで開放してくれたようです。
『ジュースを出しちゃあ、だめだよね。サミゲルビールだったら100%飲んでたのに・・・』とからかうと、
『途中からこれはおかしいと思ってちゃんと警戒していたんだから!』と胸を張りました。
『ほんとかいな・・・。たまたまじゃないの?』

そんな話があった2〜3日後のことです。
その社長さんのところに言ったときに、『睡眠薬強盗がはやってますよね。私の知り合いが引っかかりそうになったんですよ。』という話を始めたら、
話をさえぎって、『実は俺もやられた。』と言い出しました。
ちょうど知り合いが声をかけられた日の翌々日でした。

先輩が声をかけられたのが木曜日、社長がやられたのが土曜日です。
同じ人物による仕業だと思われました。

土曜日、社長は歩いてグリーンベルトからランドマークにいって買い物をしてきたようです。
買ったのは、簡単な日常雑貨と食料品。
買い物袋を抱えて帰る途中に声をかけられました。

同じようにシティバンクの副支店長の名刺を出して、日本からの手紙を翻訳してほしいと声をかけてきたそうです。
社長は、これはやばそうだ!と瞬間的に思ったそうです。
そこで、翻訳してあげるのはいいけど、この場にしてくれ、どこかにいくのならできないといったそうです。
彼は、『わかった。手紙は車の中にあるので車まで来てほしい。』といいました。
社長は、彼と一緒に車に乗り込みました。
そこでジュースを出されたそうです。
(きた・・・)と思いました。

これを飲んではいけないと思ったそうですが、まったく飲まないのも失礼な気がした社長は、軽く口をつけて飲むふりをしたそうです。
そこから記憶がなくなった。
それほどきつい薬なのです。
気がついたら、どこかわからない家のベッドで寝ていました。

長くなってきました。
続きは今度ということで・・・・。



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