2007年12月13日

お店にはこんな子もいました。。。

ずいぶん前の話です。

何気なくローカルの新聞を読んでいましたら、スロットマシンで、たった半月のあいだに3回ジャックポットが出たという記事が載っていました。
さらに読み進んでいくと、なんと驚いたことに、3人の名前と住所、当たった金額まで全部書いてあるではありませんか・・・。
そうではなくても、貧乏で嫉妬が服を着て歩いているような人がたくさんいるこの国です。
こんな記事に名前を書かれたらどうなってしまうのでしょう・・・
考えただけで恐ろしいものがあります。

さて、少し前の記事で書いたお店のおねえさんのなかに、もとフィリピン航空のスチュアーデスという変わった経歴の子がいました。
この子はギャンブルが大好きで、カジノで負けて相当な借金を負っていたようです。
スチュアーデスという職業も給料はよさそうなのですが、かなりストレスがたまるようでついついギャンブルにはまってしまったようで、もっと見入りのよい世界に飛び込んできたというわけです。
すらっと背の高いとてもきれいな子でした。

しばらくお店で働いていたのですが、閑古鳥が大量にたむろしているようなお店です。
給料だけはきちんと払っていたようですが、お客が来なけりゃチップももらえません。
いつの間にかお店はやめていました。

しばらくしたある日、『そういえばあの子はどうしたんだろう?』と聞いたら、席に着いた女の子が教えてくれました。
相変わらず、カジノにはまっていたそうです。
そして、なんと600万ペソのジャックポットを当てたそうです。
当時の600万ペソといえば、1ペソ5円くらいの時代ですから3000万円です。
今と比べたらぜんぜん物価も安かったので、使いではあったはずです。
(それでお店をやめたんだ・・・・)

それから半年くらいたったころでしょうか。
久しぶりにお店に行ったら、女の子が教えてくれました。
『あの子、殺されちゃったみたい・・・。』
『ゲッ』
怖い話です。

昔の話を思い出して書いていると、どうも怖い話になってしまう傾向があって、『これはいけない』と思って、もっと明るい話を書かなきゃいけないと思ったのですが、今日もやっぱり怖い話になってしまいました。
今度は、ちゃんと明るい話を書くつもりですので、懲りずにまた遊びに来てくださいね。
わーい(嬉しい顔)


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2007年11月11日

花売りのおじさん

CIMG7431.JPG


そのころ、エルミタには毎晩クラブに花を売りに来るおじさんがいました。

ちょっと太めで人のよさそうなおじさんで、『彼女に花を買ってあげなさい』などとなかなか商売上手なおじさんでした。
結構、高かったと思います。
私たちもごくごく普通に『もっと負けろ!』とか、『今日はこれでおしまいなんだから安くしろ!』などと好き勝手なことをいっていました。
何を言ってもニコニコと笑っていて、結局買わされてばかりいました。

ある日のことです。
この日はたぶんカジノにいった帰りかなんかだったのだと思いますが、まだほんのり明るいうちにマビニ通りを通りかかりました。
ふと見ると黒っぽい大きなベンツが止まっていました。

見るともなしに何気なく眺めていると、見たことのあるいつもの花売りのおじさんが降りてきました。

(゜ロ゜) ヒョオォォ!

なんとこのおじさん、実は大金持ちだったのです。
よくよく聞いてみたら、地元のギャングの大親分でとってもと〜〜〜〜〜っても怖い人だったのでした。
人は見かけによらないとはまさにこのことで、どうやら花売りの仕事は半分以上、趣味でやっているようなものでした。

それにしても、あんまり失礼な態度に出てなくてよかった・・・・。

それからしばらくの間、マカティーのほうでも見かけたりしましたけれど、いつの間にかこのおじさんも見かけなくなりました。
だいぶ年だったので、夜の趣味はやめにしたのかもしれません。
私も、奥さんと一緒になってから、あんまり夜外に出なくなったのでなおさら会う機会はなかったのかもしれませんね。

今頃どうしてるんでしょうね・・・・

わーい(嬉しい顔)



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2007年11月09日

エルミタでクラブを開店させたこと−そのC

オープンの日が近づいてきました。

このころになると一生懸命になっているのは所長と下請けの社長だけです。
下請けの社長は、本業のほうでお世話になっている所長がいろいろといってくるので仕方なくお付き合いしているだけという感じが見え見えでした。

土木の大型工事がこのころ施工中で、わが社には日本人赴任者が結構いました。
彼らが安心して飲めるお店にするというのもひとつの目的だったのです。
何にもないとどこにでも行っちゃって、何をするかわからない人たちばっかりでしたものですから・・・。
こっちの土木のほうの所長さんも熱心なほうでした。
要するに二人の所長と名のついたおじさんたちが、スケベ気分半分で下請けの社長のお金で遊んでいたのです。

オープンの日、動員がかかったわれわれは7時過ぎにはお店に行きました。
超満員です。
さすがに、最初の日はものめずらしさもあって(飲み食いは全部ただでしたし・・・)、たくさんの人でにぎわっていました。
ほとんどが知っている人ばかりで、そういう意味では安心してくつろげる雰囲気でした。
一時募集で会員も30人以上にはなっていたものと思います。

女の子たちもさすがに600人の応募者の中から選ばれただけあって、美形ぞろいです。
『この子は俺が選んだんだ』と面接のときに30分だけ参加していた損害保険会社の主席駐在員もきていました。
すぐ帰っちゃいましたけど・・・
この方は、会員にはなってくれましたが、ほとんどお店には来なかったようです。

このころ、私はすでに奥さんと一緒に暮らし始めていましたし、もともとあんまりお酒が好きな体質ではありませんでしたので、お店にはいいとこ月に1〜2度顔を出すのがやっとという感じでした。
オープニングパーティーの後、3日間くらいはそれなりにお客が来ていたようでしたが、それ以降はばったりと客足が途絶えてしまいました。
いつ行っても、いるのは土木の所長さんとそのグループだけ。
完全に身内の飲み屋になってしまいました。

身内以外でよくご利用してくれたのは、ある銀行の駐在員の方。
まじめで気の小さい感じの方で、このお店がほかにお客がまったくいないので気を使わなくていいというところを偉く気に入ったようでした。
銀行などというのは、日本人全部がお客さんのようなものなので、誰にも気兼ねなく飲めるというところは貴重だったんだと思います。
場所もあんまりよくありませんでした。

そのころにはだいぶマカティーにも飲み屋さんやカラオケができてきて、わざわざエルミタまで足を運ばなくてもよくなってきつつありました。
少し遠いのです。
しかも、カラオケはポリシーに反するので置いていませんし、女性のお持ち帰りもできません。
廃れていくのは目に見えていたのでした。

それでも2年近くはオープンしていたでしょうか。
一番はやった日は、クーデターでマカティが占拠され、閉じ込められていた人たちが開放されてそれぞれマニラのホテルに分宿した日、一日だけでした。
クーデターの話はそのうち書くと思います。

それにしても、面白いお遊びでした。。。。

わーい(嬉しい顔)





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2007年11月08日

エルミタでクラブを開店させたこと−そのB

結局、面接に応募したのは600人くらいいたようでした。
そのころのフィリピンは、ピープルズパワー革命でマルコス大統領が海外逃亡し、混乱を避けるために撤退(または一時避難)した外資系企業がまだ戻ってきていない時期で、国内にほとんど仕事がありませんでした。

面接のときに、後ろで○を出した人たちにはエルミタのナイトクラブが職場であるということをきちんとお話して、2週間後に石亭の親父が用意した場所に来るように伝えました。
ほとんどが素人さんばかりでしたので、一ヶ所に集めて訓練をするつもりだったようです。

面接のときに、石亭の親父から女性の選び方を教えてもらいました。
決め手となるのは、『歯並び!』だそうです。
顔のほかの部分は化粧の仕方だけで、どうにでもなってしまうのだそうです。
誤解のないようにいっておきますが、ここで言う女性の選び方というのは、クラブのホステスを採用面接するときの女性の選び方ですので、実生活のガールフレンドを選ぶ選び方とはまったく関係がありません。

面接で、約50人の女性に合格が出ました。
2週間後にトレーニング会場にやってきたのは、半分以下の20名ちょっとだったようです。
このくらいになると、素人ではまったくわかりませんので、石亭の親父任せです。
親父はどこかから、オカマのトレーナーを呼んできたようでしたが、私たちには一切教えてもらえませんでした。
もっとも、興味もありませんでしたが・・・。

このお店のコンセプトは、『安心して飲めるお店』でした。
ホステスは、600人以上の応募者の中から厳選した『素人さん』たちです。
水割りに使う氷だってミネラルウォーターを使います。
当時の氷屋の氷なんて、作っているところを見たら、口にしたくなくなるようなものでした。
今でも、あんまり変わらないのかもしれません・・・。

コンセプトを決めたら、次は『メンバーの募集』です。
当時は、パソコンなどという便利なものはありません。
事務所にもなかったと思います。
メンバー募集に必要な『趣意書』を作らなければなりませんが、これは、毛筆で書いてゼロックスをとりました。
自慢ではありませんが、私は書道2段の腕前で、毛筆には少々自信があります。
会員も50名に限定し、入会金は閉店の時にはお返しするということも決めました。
会員、または会員が一緒じゃないとお店に入れないという仕組みにしたかったようです。

会員ナンバー1は所長です。
2が私だったと思います。
当時、事務所には日本人がほかに何人かいたのですが、全員会員になりました。
入会金は一人1万ペソでした。

こうして、着々と開店の準備が整っていったのでした。





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2007年11月05日

エルミタでクラブを開店させたこと−そのA

フィリピンは長い長い連休でした。
10月29日の月曜日がバランガイ(最小行政区−部落とか町内会といった感じでしょうか?)の役員選挙で特別休日。
日本も選挙の投票日を月曜日に設定して、お休みにすれば投票率も上がるかもしれませんね。
といっても、日本のように解散とか何とかで、たくさん選挙があったのではたまったものではありませんけど・・・。
10月30日、31日の2日間は普通の出勤日だったのですが、わたしは自営業なので、30日だけ出勤して31日はお休み。
11月1日は万聖節(オールセインツデー)、2日が万霊節(オールソウルズデー)の特別休日で、3日が土曜日なので、4連休ということになりました。

おかげで、ブログの更新もサボりがちになってしまいました。
f(^_^; スンマセン

この休みの間、何をしていたかというと・・・ひたすらゴルフです。
8日間で5ラウンドしてしまいました。
2ラウンド目で、久しぶりのよいスコアが出て、これは完全復活か?と思ったのですが、後半は疲労が出てどうにもなりませんでした。
昨日は、15ホール目で右腕上腕部に激痛が走り、後の3ホールはこれをかばいながら何とかホールアウトするという有様でした。
・・・としには勝てない・・・といったところでしょうか???
たぶん、ラウンドのない日にいった練習場がいけないんだと思います。
あとでマッサージにでもいってこようっと!


さて、この前の続きです。
マニラガーデンのボールルーム(大広間)は中二階にありました。
階段を上がって奥のほうに行ったところで300〜400人のパーティーが十分できる広さです。

面接の当日、仕事の関係で少し遅れていった私は、会場に上る階段を上がっていくところから仰天してしまいました。
まず、ロビーに面接を受けに来たような人たちがたむろしています。
階段を上がっていってそのまま真っ直ぐしばらくいったところを右に曲がると大広間なのですが、この右に曲がるところまでいすが並んでいます。
このいすには、当然人が座って待っていたわけですが、なんと廊下の反対側にも折り返していすが並んでいたのでした。
長蛇の列とはまさにこのことです。

さらに進むと面接会場です。
大広間は二つに区切ってありました。
半分はいすを正面に向かって並べておいてあり、ここにも面接を待つ人たちが座っています。
容姿端麗の募集のとおり、応募者はきれいな方がたくさんいました。
もちろん、中には明らかに勘違いしているような人もいたことはいたのですが・・・・

大広間の残りの半分で面接をしていました。
石亭の親父は、マカティーにクラブを一軒持っていて、面接官はそのお店の女の子たちでした。
お店の女の子総出で面接といった感じです。
面接会場を入ったところに20人くらいの面接官がテーブルを並べて座っており、応募者を迎えます。
その後ろのほうの少し離れたところに、テーブルを4つぐらいならべた席を用意して、コーヒーとかお菓子とかがならべてあります。

ここで、私たち何人かがすわって、入ってきた女の子(応募者)の品定めをするのです。
面接官の女の子は、一通り質問をすると私たちの座っている席をチラッと確認します。
そこで、私たちが手で小さくマルとかバツとかのサインを送ります。
マルのサインを送った女の子に面接官は○月×日にどこそこに来るようにというお話をします。
一時面接が通ったわけです。
×サインの応募者はお引取り願います。
要するに面接官の質問は形だけのことで、用は後ろで見ている私たちが気に入るかどうかだけの審査だったのでした。

最初のうちは、みんなわいわい言いながら、あれがいいとかいやこっちがいいとかいいながら楽しく審査をしていました。
すさまじい光景でしたが、しばらくするとすぐに飽きてしまいました。
応募者が多すぎるのです。
後から後からどんどん入ってきて、まったくきりがないのです。

きりがなくなってきたので、続きは後日ということで!

わーい(嬉しい顔)




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2007年11月01日

エルミタでクラブを開店させたこと−その@

ある日、所長が石亭で夕食を食べていると店の親父がしけた顔を出してきたそうです。
所長が『いい大人が、しかも客商売をしているものがそんな顔をしていちゃあいけない』といって、わけを問いただしました。
親父は、当時エルミタのデルピラール通りにクラブを持っていて、あんまりはやっていないものだから売りに出そうとしていたのですが、その契約が寸前になってキャンセルになってしまったということでした。

『困った。困った・・・』
とあまりいうもので、
所長が
『大のおとなが金のことぐらいでくよくよするんじゃない!!』
といって、この店を何とかする約束をしてしまったそうです。

とはいっても、一応東証一部上場の建設会社ですので、会社の名前でクラブ経営に乗り出すわけにも行きません。
かといって、所長個人で買い取るというわけにもいかず、結局当時使っていたローカルの一番大きな下請け業者に紹介をして買い取ってもらうことにしたようです。

『店が軌道に乗るまでは、お前が面倒を見るんだぞ!』という約束を石亭の親父に取り付けて、下請けの社長にこの店を買い取らせました。

店の名前は、当時の下請けの会社の名前に50人のメンバー制にしようということで『ローヤル50』という名前をつけました。
この社長は、ミンドロ島の出身で、後にミンドロ島から下院議員に立候補して当選しました。
建設業以外にもいろいろと興味や野心のあった人だったのでした。

 

まずは、従業員の募集です。
何はともあれ、女の子を集めないことには話になりません。
石亭の親父は、まずマニラガーデンホテルの大広間を借りました。
マニラガーデンホテルというのは、当時はJALの経営するホテルで、日本人のマネージャーもいるマカティーのファイブスターホテルです。

次に新聞広告です。
『○月×日、マニラガーデンホテルの大広間で面接をします。
容姿端麗な若くて魅力的な女性募集。
年齢は25歳まで』
と、こんな内容の広告だったと思います。
どこにも新しくオープンするクラブの採用面接とは書いていません。
案の定、応募者のほとんどはマニラガーデンホテルが採用するものと思ってきたようでした。
まぁ、うそはついていません。


さて、明日が面接という日、所長は親しい遊び友達に『明日、かくかくしかじかで面接をやるので、よかったら遊びに来てください。』という電話をしました。
この人は、とある大手損害保険会社の駐在員で、なかなかの遊び人でした。
確か、会社の人間を除いては、彼が一番最初にメンバーになってくれた人だったと思います。
さて、面接のその日・・・。
大変なことになったのですが、長くなりそうなので明日に続きます。

バーバーバーバー 

ビールビールビールビール





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2007年10月22日

家を借りてしまいました

マカティのグロリエッタ2というショッピングモールで爆弾テロがありました。
金曜日の午後1時半くらいのことです。
死者が10人に上りました。
娘の同級生のお父さんもこの爆発に巻き込まれてなくなってしまいました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。

さて、前回の続きです。。。。

こんな手入れは、長くは続きませんでした。
リム署長はだいぶ躍起になっていたようですが、現場の警官はそんな甘いものではありません。
あっという間に店側と『示談』を成立させてしまうのです。
『この店はもう大丈夫』って言う店がほとんどになってしまいました。
それでも、しばらくすると一軒・二軒とエルミタから店が離れていきました。
警官のたかりのほうがよほどきついのです。

そのころ、奥さんはバクラランの教会に程近いロハス大通りから2本ほど中に入った小さなとおり沿いに、お母さんとお姉さん家族と一緒に住んでいました。
そこから100mくらいの路地を入ったところに3軒長屋があり、そこの一番奥の部屋を借りることにしました。
2階建てで、1階にリビングとシャワートイレ、キッチンがあり、2階にベッドルームが二つあります。
一応、ブロック作りで、建ててからそんなに古くもなく清潔な感じのするタウンハウスでした。
ここで、奥さんと二人の息子と一緒の暮らしが始まったのでした。

部屋を借りるころには、奥さんはお店を辞めてしまっていました。

私は、会社が終わるといったん寮に帰り、食事をしてからタクシーでこの家に通っていました。
朝は6時ころに家を出て、いったん寮に帰って着替えてから出勤します。
こんな日常を続けていたのです。。。。

ムード






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posted by マニラのおぢさん at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | エルミタの昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

逃げる女とじっと待つ男たち

記事のカテゴリを追加しようと思ったら、書いていた記事が全部消えてしまいました。
ヾ(@† ▽ †@)ノうわーん

ということで、改めて書き直しです。

その頃、マニラ西警察署の署長にジェネラルリムが就任しました。
1988年のことだと思います。
時代考証をきちんとせずに、記憶だけで書いていますので、間違っていたらごめんなさい。

この人は、後にマニラ市長になった人で、この前の大統領選挙には立候補して敗れました。

リム署長は、エルミタのマビニとデルピラールの通りを『母親が子供の手をつないで歩ける通りにする』と、とんでもないことを言い出しました。
当時のこの2本の通りは、ゴーゴーバーとカラオケがひしめく大繁華街で、マニラを象徴する胡散臭い町でした。
ゴーゴーバーは昼の12時頃にはもうオープンします。
派手な化粧をしたお姉さんたちが、気のないそぶりでお客さんを誘うのですが、さすがに明るいうちは気合も入っていないようです。
それでも、店の中にはお客がいました。
クローズするのは、たいてい朝の5時です。
このあたりが静かになるのは、夜明けからお昼までの間だけでした。

ママさんのお店に所長といっていたときに、何度か『手入れ』に遭遇しました。

夜の9時ごろでしょうか。
いつものように奥の席でシーバスの水割りをちびちびやっていると、突然店の中がざわざわしてきました。
警官がやってきたのです。
この頃の『手入れ』は、決してお客には手を出しません。
・・・といっても、水着で踊っていたゴーゴーバーのほうはどうだったか知りません。
少なくても、われわれが通っていたマビニのほうのクラブでは、お客まで連れて行かれることはありませんでした。

警官が入り口で、お姉さんたちに席を立つように促します。
仕方なく、お姉さんたちが立ち上がると、彼女たちを呼んで連れて行ってしまいました。
たぶん、5〜6分の出来事だったと思います。

警官が立ち去ってしばらくすると、2〜3人のお姉さんがソファーの下から出てきました。
お客さんの足の陰に隠れて難を逃れたのです。
警官も、半分くらいは見せしめですので、席までやってきてお客に失礼な振る舞いをするまではしません。
そこまで、やったらお小遣いもらえませんもんね。

さて、大半のお客さんは帰ってしまいます。
2〜3組でしょうか?
帰らずに残っている人たちがいます。

われわれはというと、当然居残り組みです。
ママさんが、ばたばたと対策を練っているのに、所長が帰れるわけはないのでした。

こんなことが何度か続くと、待っている人たちの間で連帯感が生まれます。

『お互いあふぉですなぁ・・・』
とかいいながら、楽しい会話をするのでした。
結構、新しい友達ができたりして、退屈しなかったような気がします。

12時を回った頃、ぽつぽつとお姉さんたちが帰ってきます。

お姉さんたちは、警察署に連れて行かれると、裏庭でまたされます。
そのうち、呼ばれて名前を聞かれたりするのですが、何せ大変な数ですので、自分の番がなかなか回ってきません。
そのうち、一人二人と塀を乗り越えて逃げてしまうのです。。。
警官のほうも、逃げたお姉さんたちまでかまっていられません。
逃げたものの勝ちなのです。

この、帰ってきたときに待っているかどうかで、お姉さんたちの態度が違ってくるのでした。
待っているだけで、いたく感激するのです。
これだけのために待つのです。

やっぱりあふぉでした・・・。

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