2007年11月18日

クーデター 〜その4〜

私たちが寮でトランプばくちに精を出していたころ(これはこれでつらかったのですが・・・)、クーデターに巻き込まれてしまった所長のところは大変でした。

この辺の話はみんな後から聞いた話です。

反乱軍がマカティーに入ったその日の夜、青年将校が所長のコンドミニアムに入り、各ユニットを回って挨拶に来たそうです。
3人くらいのグループで軍服をきちんと着用した青年将校が、各ユニットを訪問し、彼らの主張を説明し、巻き込んでしまったことを謝罪し、迷惑をかけないので安心してほしいということを告げていったそうです。
彼らは、実に厳格で礼儀正しく、閉じ込められた人たちの中にはすっかり彼らを応援する人さえ出てきたようでした。
所長の奥さんも、『それはそれは格好良かった・・・』といっていました。
実際にクーデターの間、反乱軍兵士による乱暴や略奪などということは一切ありませんでした。

あとで、いろいろな人にこの話をすると、『それは当たり前だ。なんといっても国軍きっての精鋭部隊なんだから』といわれました。
そういうものなのですね。

ところで、日本大使館は、日本人に向けて、部屋にいれば安全なのでできるだけ部屋を出ないようにという指示を出していました。
所長のコンドミニアムでは、戦闘が時折激しくなってくると管理事務所から地下の避難所に避難しなさいという指示が回ってきたそうです。
コンドミニアムにはちゃんと地下に非難するところがあるのですね。
このとき初めて知りました。

避難命令が出たとき、所長の奥さんの知り合いが『大使館が部屋を出るなという指示を出しているから部屋にいる』といって聞かなかったそうです。
『私のところは15階で、高いから大丈夫だ!』というのを銃声がバンバン聞こえ出してきたので、無理やり連れ出して一緒に地下の避難所にいきました。
しばらくして、戦闘が少し収まり、管理事務所から部屋に戻ってもよいという許可が出ました。
この方が、15階の部屋に戻ったらベッドのところに砲弾の大きな穴が開いていたそうです。
怖かったといっていました。

避難所に非難するときに、所長のメイドがおにぎりをたくさん握ってもって行きました。
前にも書きましたが、フィリピン進出を検討中の会社の仮事務所にも出張者が6名閉じ込められていました。
彼らも地下に非難してきたのです。
1,2,3,4、・・・・7、えっ・・・7人いました。
どう見てもメイドには見えない若い女性が一人一緒に逃げてきたそうです。
???
ともかく、まともに食べるものもなかった彼らは、カップヌードルで飢えをしのいでいたようですが、所長のおにぎりで一息ついたようです。

所長の奥さんの知り合いから所長の奥さんに電話が入りました。
そのかたのだんなさんが同じコンドミニアムのOO号室にマージャンをしにいって、そのまま閉じ込められてしまったそうです。
食べるものが何もなくなって困っているので、分けてもらえないか?というお願いだったそうです。
12月で毎年お米が高くなるのを見越してカリフォルニア米を買いだめしてあった所長は、1袋分けてあげたそうです。
マージャンをしていた部屋のご主人はそのころ面識がなかったのですが、名前を言えば日本人じゃなくても誰でも知っているような大きな会社の駐在員でした。
開放されてからしばらくして、本社の社長からお礼の電話がかかってきました。
従業員を大切にするよい会社ですね・・・。

そうこうしているうちに開放される日が近づいてきたのです。

続きますね。

わーい(嬉しい顔)






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posted by マニラのおぢさん at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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