2008年07月28日

お昼を食べるのも大変でした。。。

昨日はすごい雨でした。
夜のニュースで、メトロマニラのエレメンタリースクールとハイスクールが休校になるといっていました。
子供たちはみんな学校お休みで、うちでごろごろしています。
天気は・・・・ はれています。

こんな感じで休校になって、晴れていることの多いこと。
だいたい、雨が降ったらお休みってなんだか工事現場みたいですよね。
困ったものです。

さて、昔の話をしましょう。

工場にはキャンティーンがありました。
従業員はご飯はただです。
会社が全部ご飯だけは支給です。
おかずはそれぞれがお金を払って食べますが、一品が10ペソくらいだったと思います。
とにかく、まだまだ貧しいころでした。
今もあまり変わりませんが・・・・
ご飯だけでも食べてもらわないと、工場の作業中に倒れてしまっては大変です。
そのころ操業を開始した工場では、ご飯がただというのが一般的だったと思います。
みんな、ちびたような干し魚でご飯を2杯くらい食べていました。

そのころは、カランバというところはひどい田舎でした。
今でこそ、近くに工業団地がたくさんできて、日本食レストランもあります。
今はそんな日本食レストランから仕出し弁当をとって食べるのが一般的です。

そのころは、そんなものもありません。
かといって、キャンティーンで食事をする気にはなれません。
みんなそうでした。
では、どうしていたかというと、朝の9時ころ、日本人スタッフの一人が『今日は何を食べますか?』とたずねてきます。
おのおの、カツどんとかラーメンとかカレーライスとか好きなものを注文します。
彼はその注文を聞いて、マカティにあるらあめん亭に電話を入れます。
ラーメン屋もまだそのころは多くはありませんでした。
新宿ラーメンができたかどうかくらいの話です。
ただ、新宿ラーメンは11時を過ぎないとオープンしていなかったと思います。
その時間に注文を受けてくれる『日本食屋』はらあめん亭くらいしかなかったのです。
らあめん亭はパサイロードの今のパークスクエアの外れぐらいにありました。

日本人スタッフには一人1台運転手つきの車が与えられていました。
運転手も同じ数だけいます。
この運転手が順番を決めて、毎日一人マカティに向かうのです。

10時ごろになると運転手がお金を持ってマカティに向かいます。
片道が約1時間。
往復で2時間の道のりです。
料理が出来上がるのをまって運んでくるわけです。
工事や事故で渋滞なんかがあると大変です。
もちろんそのころはまだ携帯電話などありません。
12時を過ぎても運転手が帰ってこないこともたびたびでした。
みんなでおなかをすかせて、会議室でタバコを吸いながら、帰ってくるのを待つ意外に方法がないのです。

間が抜けた話ですが、そんな毎日でした。
(≧∇≦)/ ハハハ



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posted by マニラのおぢさん at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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