2008年11月27日

アメリカ人がやってきた 〜その4〜


昨日、おくさんと二人でクリスマスの買い物に行ってきました。
毎年恒例の買い物です。
お客さんのクリスマスパーティのくじ引き大会用の景品です。

いつもは電気製品を送っていたのですが、今年はバーベキュー用のスタンドにしました。
炭をおこして使うやつです。
こっちのほうがみんな普段に使えて喜ぶんじゃないか?というのがおくさんの見解。
たしかにそうかもしれません。
電気代、むちゃくちゃ高いですから。。。

さて、昔のはなしに行きましょう。

アメリカ人墓地で、おじさんの名前を探した後、食事にいきました。
その後ゴーゴークラブ。
さっきまで、一生懸命おじさんの名前を探していたことなどまったく頭にないみたい。
別人の行動でした。

次の日は、近郊の案内です。
タガイタイにいきました。
朝、ホテルにいって、その日のスケジュールをお話しすると、太ったほうのアメリカ人が、『カジノに行きたい。』と言い出しました。
どうやら相当のカジノ好きのようです。
もう少し早くいってくれれば、そういうアレンジができたのに・・・・。
タガイタイの観光はすでに決まっていて、もう一人のアメリカ人は楽しみにしていました。
タガイタイ観光の後はフライトです。
飛行機の時間があるので、カジノまで回っている時間はありません。

『残念ですが、スケジュール上難しいです。飛行機の時間がありますから。。。』
そういうと、しぶしぶ納得したようでした。
『30分でも1時間でもいいんだけど・・・』
車の中でもぶちぶちいっています。
『スケジュールの都合がつくようならいきますか?』
と、一応いってみたら、ものすごく喜んでいました。
(ほんとに好きなんだ・・・)そう思いましたね。

車の中では、カジノのはなし。
私もギャンブル大好き部長のおかげで、カジノのはなしは苦手ではありません。
観光のはなしなどそっちのけで盛り上がっていました。

『タガイタイにもカジノありますよ。』
余計なことをいってしまいました。
『いきたい。』
そういうに決まってますよね。
最もタガイタイといっても、タール湖がきれいに見えるくらいで後はどうってことはありません。
タール湖を見て、『きれいだね。』でおしまいといえばおしまいです。

『じゃあ、少しだけいってみますか?』
そういって、タールビスタホテルの中のカジノにいきました。
太ったアメリカ人は、すごくうれしそうで、子供みたいに目を輝かせていました。
『飛行機の時間があるので、1時間だけですよ。』
そう釘を刺しておきました。
それでもうれしそう。

今、タガイタイのカジノはタールビスタホテルの真向かいに大きな建物で独立していますが、その頃はタールビスタホテルの中にありました。
入り口だけが別です。
昼食もそこそこにして、カジノの中に入りました。

昼間の観光地のカジノです。
当然、中は閑散としています。

彼がやりたかったのはブラックジャックです。
ブラックジャックのテーブルはひとつもオープンしていません。
ディーラーがぽつんと暇そうにしているテーブルに3人で座って、ゲームを始めるように言いました。
2000ペソずつチップを交換してゲームを開始。
200ペソずつかけています。
(あれほどやりたがっていたわりにはかけ方が小さいな・・・)
そう思った記憶があります。

この日、私はついていました。
連戦連勝です。
隣のアメリカ人はというと、ふたりとも負け続けていました。
私だけが勝ち続けています。
あっという間にふたりは2000ペソがなくなってしまいました。

私の手元には20000ペソを越えるチップ。
チップを追加で交換するのかと思ったら、その気配もありません。
『もうやらないの?』と聞くと、
『もういい。』といいます。
『お前は勝っているんだから続けろ。』
といって、楽しそうに私とディーラーの勝負を見ています。
こっちは気が気じゃありません。
(私も負けたほうがいいのかな・・・?)
などと思いながら、2〜3回勝負して、そろそろ帰りましょうかと提案しました。
今度はすんなりOKでした。
とにかく気分を味わいたかったようですね。

結局、私はこの日差引で2万ペソ勝ちました。
これが三女の出産費用になったのです。
『女の子ができるとギャンブルに強くなる。』と誰かがいっていましたが、どうやら本当のようですね。

タガイタイから、アメリカ人を乗せてそのまま飛行場に向かいました。
フライトを見送ってから、工場に電話して、『無事、飛行機に乗りました。』と連絡しました。
そのまま、家に帰って倒れるように眠りました。
相当疲れたようです。
こうして、嵐のような3日間が過ぎたのでした。

どうやらアメリカ人は満足して帰ったようです。
その後、順調に受注することができたのでした。
(≧∇≦)/ ハハハ



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2008年11月24日

アメリカ人がやってきた 〜その3〜


そろそろクリスマスですね。
フィリピンでは、今からクリスマスのはなしをしても誰も不思議に思いません。
どうしても抵抗が少しありますね。
まだ、メリークリスマスって言わないでほしい。。。
プレゼントちょうだいって聞こえて仕方がありません。
(≧∇≦)/ ハハハ

さて、昔のはなしです。

翌日、アメリカ人をふたり連れて観光にいきました。
市内観光です。
マニラというのはそれほど歴史のあるところではありません。
一通りみてもあっという間に終わってしまいます。

まずは、イントラムロスへ。
ここはスペイン時代の城塞都市です。
フォートサンチャゴにいって、マニラ大聖堂を見て、サンオーガスチン教会を見るともうおしまいです。
食いつきもあまりよくありません。
へぇ〜って感じでおしまいです。

その後、マカティに戻ってアメリカ人墓地にいきました。
お定まりのコースです。
でも、これは大失敗でした。

アメリカ人墓地は、マカティのアヤラ通りのマニラゴルフやフォルベスパークを過ぎたところにあります。
今では、ザ・フォートと言うおしゃれなショッピングエリアのすぐそばです。
広大な敷地に、きれいに手入れされた庭園にたくさんの真っ白な十字架が立ち並んでいます。
その一つ一つに戦争で犠牲になったアメリカ人やフィリピン人の魂が眠っているというわけです。
中央には、大きな慰霊碑があって、真ん中には聖母マリアの壁画が書かれた建物があります。
そこから大きな柱が円形に立っていて、その壁の一つ一つに戦争の犠牲者の名前が書いてあります。
壁の端にはやはり建物があって、そこには太平洋戦争の戦況が描かれていました。

壁は、犠牲者の出身地の州によってアルファベット順に名前が書いてありました。
一枚の壁にたくさんの名前が書いてあります。
案内したアメリカ人の一人が壁の前で動かなくなりました。
熱心に名前を読んでいます。

不思議に思って近づいて声をかけると、
『私のおじさんが太平洋戦争でなくなっている。』
『どこかに名前があるはずだ。』
そういって、名前を探し始めました。

その答えを聞いた瞬間、思いっきり後悔しました。
一気に戦争時代に戻ったみたいです。
もちろん、戦争のことを攻められているわけでも何でもありません。
でも、まちがいなく敵に戻ってしまったような気がしました。

まさか、戦争で亡くなったおじさんの名前を探し始めるとは思いもよりませんでした。
もう一人のアメリカ人も名前と出身地を聞いて一緒になって探しています。
私も一緒に探しました。

30分くらい探したでしょうか?
もしかするともう少し長かったかもしれません。
結局、おじさんの名前は壁には書いてありませんでした。
見つけられなかっただけかもしれません。
でも、いやな気持ちでした。

教訓!
アメリカ人墓地にアメリカ人を連れて行ってはいけません。



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2008年11月18日

アメリカ人がやってきた 〜その2〜


今日お客さんのところで、珍しいものをいただきました。
柿です。
本当に久しぶりです。
何年ぶりでしょう。
柿は重いので、なかなか手に入りません。
スーパーで売っているアメリカ産のパーシモンは、高いだけでちっともおいしくありません。
そういえば、土曜日に買った韓国産の梨も全然おいしくなかった。
1個だけにしておいて大正解でした。

柿は、おくさんの大好物でもあります。
早速、夕食の後食べました。
甘くて独特の香りがあって、至福のひと時でした。
感謝。感謝。
あとひとつ残っています。
明日また食べよっと。
早く食べないとやわらかくなっておいしくなくなっちゃうもんね。。。

さて、昔のはなしに行きましょう。

アメリカ人を連れて夕食にいきました。
言ったのはフィリピン料理のお店『カマヤン』です。
マカティのカマヤンは今年つぶれてしまったようです。
今は営業していません。

カマヤンというのは、タガログ語で手づかみという意味です。
ちなみにカマイというのが手のことです。
1階はビュッフェスタイルでいろんなものを取って食べられます。
ちょっと大衆的な雰囲気のところです。
2階は、ほとんど予約がないとは入れません。
少し高級なフィリピン料理という雰囲気でした。

このときは、2代目ボンボンばか社長も一緒でした。
ばか社長は、このカマヤンに来ると、お客であろうがなんであろうが手づかみで食べることを強要します。
アメリカ人も面白がって手づかみで食べていました。

食後は、ゴーゴーバーへ。
エドサコンプレックスというヤツです。
コットンクラブっていったかな?今もあるんでしょうか?
とにかく大きなゴーゴークラブです。
そこで、元気よく遊んでいました。
そのままホテルに送っておやすみなさい。
翌日はいよいよ観光旅行です。
本人たちは楽しみにしているようですが、付き合うこっちは大変です。
どこに行こうか?頭を悩ませていました。

続きます。
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2008年11月13日

アメリカ人がやってきた 〜その1〜


今日は、タガイタイに行ってきます。
子供たちが幼稚園に通っていた頃の先生が、犬の牧場(?)をやっています。
ブリーダーというヤツですね。
ゴールデンリトリバーとか何たらテリアとかジャーマンシェパードとか、大型犬から小型犬までたくさんいます。

知り合いと少し新しいプロジェクトのはなしで相談に乗ってもらいます。
どこでいろんなつながりが生きてくるのかわからないものですね。
うまくすすめばよいのですが・・・。

さて、昔のはなしです。

バコロド旅行で妊娠していたことがわかった三女が生まれる少し前のはなしです。
アメリカからお客さんのアメリカ人が工場監査にやってきました。
大事なお客様です。
工場ではまともに英語が話せる人がいませんでしたので、当然私のところにお鉢が回ってきました。
接待係というヤツです。
アメリカ人はふたり。
一人はでっぷりと太った陽気な人で、コーラを水のように飲んでいました。
どこに行くのにもコカコーラがないといけません。
打ち合わせ中でも、1時間に2本くらいの割合でコーラを飲んでいました。

もう一人は少しほっそりとした神経質そうな顔をした人。
ちょっと見とっつきにくそうな感じでしたが、話してみるとなかなかよい人でした。
ふたりともわが社のことはよく知っています。
この会社との付き合いでフィリピンに進出したようなものなのでした。

それにしてもアメリカ人の英語は難しいですね。
フィリピン人の英語になれてしまうとまったくいけません。
相手の話す言葉に集中していないと話がわからなくなってしまいます。
普通に話しているよりもずっと疲れます。

3日くらいいたでしょうか?
一日はしっかりと工場監査。
あとは、観光です。
ちょうどラモス大統領の頃で、フィリピンが一番元気だった頃のことでした。

今日はこの辺で・・・
続きます。。。
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2008年11月10日

バコロド旅行 〜その9〜


三女の学校で2学期の成績優秀者の表彰式があります。
この表彰式、残念ながら三女はご無沙汰しています。
低学年のときは何度か表彰されていたのですが、最近は呼ばれたことがありません。
この表彰式で、パフォーマンスが披露されるのですが、三女のクラスはパフォマーとして歌を歌うことになったそうです。
『見に来い!』というのですが、表彰されるのならともかく・・・と言ってパパはごねています。
歌を歌うのに、白いドレスを着ることになったそうで、昨日の日曜日、買い物に出かけました。

ゴルフの後で、昼寝を来客者に邪魔されて、疲労困憊の体にむちを打って出かけました。
出かけたのは、マカティのSMです。
ここの品揃えはなかなかのものなのですが、白いドレスというのは探すとなかなかないものです。
女性用の服売り場をほぼ一周しました。
その間に、白いドレスとは関係ない下着とかパジャマとか、おくさんと次女の買い物が進行。
いつの間にかバスケットが一杯になっていました。
久しぶりの買い物だとこうなってしまいます。。。
ふぅ・・・・・

さて、気を取り直して昔のはなしと行きましょう。
バコロド旅行のはなしもいよいよ大詰めです。
ずるずると書いてきましたが、これでおしまいにします。
次からは新しいシリーズを・・・・。

おくさんは、もともとあまり乗り物には強いほうじゃありません。
日本の新幹線で気分が悪くなったくらいですから。
船に乗ってしばらくすると気分が悪いと言い出しました。
顔は真っ白です。
まだ30分くらいしか走っていません。
ゴミ箱を抱えて戻し始めました。

おくさん、沈没。
このままマニラまで、ずっと横になったままの船旅でした。
海は穏やかだったのですが、結構うねりがあります。
夕方、12月31日の海に沈む夕日を見て、感動したあとは何もすることはありません。
外は真っ暗、星はきれいでしたがただそれだけです。
10分も眺めたら飽きてしまいます。
結構なスピードで外に出たら寒くてたまりません。
海をのぞくと気持ちが悪くなるくらい。

やがて、我が家の家族も一人ひとりダウンしていきました。
夕食もまともに食べられない状態です。
年越しのパーティが船内でひっそりとおこなわれたようですが、船室でにぎやかな音を聞いた記憶があるくらい。
この計画は大失敗でした。
やはり15時間も船に乗るものじゃありません。

楽しかったバコロド旅行はこうして幕を閉じたのでした。

夜が明けて、明るくなってくると、もう、早くマニラの港に着くことだけを祈っていました。
港が見えてきたときには、本当にほっとしました。
次の心配は、運転手が迎えに来てくれているかどうかです。
港の辺りは、普段から怖いところなので、めったに近づきません。
もし、運転手がいないとどうしていいのかわからない状態です。
港について、運転手の顔を見たときは、安心しました。
そのまま、無事に家に帰りました。

おくさんの気分が悪いのはそのまま治らず、旅行の後始末もせずにそのままベッドに倒れこみました。
私も、船の中ではよく眠れなかったので、一緒に熟睡です。
夕方まで眠っていたような気がします。

それからしばらくたちました。
おくさんは気分が悪いのが続いています。
いくらなんでもおかしいというわけで、医者に見てもらいました。
医者の診断結果は、おめでたでした。
このときおなかに入っていたのが、三女です。
今は小学校の6年生。
クラスで歌を歌うというのですから、時の流れは速いものです。
(≧∇≦)/ ハハハ
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2008年11月07日

バコロド旅行 〜その8〜


ハロウィーンが終わったと思ったら、すぐクリスマスです。
我が家でもクリスマスツリーを飾りました。
向かいの家の屋根の上にも大きなスノーマンが出ています。
今年もだいぶ押し迫ってきました。
早いものです。。。

さて、昔のはなしの続きです。

イロイロの町で少し時間がありました。
ほんとにちょっとだけジープニーで町の中を移動。
イロイロの町の印象は、ごちゃごちゃしたところだな・・・というものでした。
ここは中国人が多いところです。
海を挟んだバコロドがとてもすっきりした町並みだったのと対照的でした。
バコロドはスペイン人の町です。
おもしろいものですね。。。

さて、出航時間が近づいてきました。
ネグロスナビゲーションという会社の客船です。
ちょうどその頃、スーパーフェリーというのが出始めたばかりで、テレビで宣伝をしていました。
これに乗りたいなと思っていたのですが、どうやらイロイロ−マニラの路線がなかったようです。
仕方がないので、この船に。。。

大きな船でした。
船内は5階か6階になっています。
子供たちは初めての大型船に大はしゃぎです。

まずは船室に。
予約してあったのはもちろん一番高い部屋です。
このときの旅行は大奮発でした。
といっても、飛行機よりはだいぶ安かったように思います。
約15時間の船旅です。
快適に過ごせる部屋じゃないと・・・。
部屋はこぎれいでした。
一角はきちんとドアで仕切られていて、一番高いところにありました。
ただ、ちょっと狭かったように感じた記憶があります。

船はもともと日本の船だったようです。
船室に荷物を置いて船内探検です。
日本語の案内がそのまま残っていました。
案内によると、5階(だったかな?)にデッキがあります。
子供たちと行ってみようと出かけました。

案内板にしたがって、ドアを開けるとそこにはきれいな空が見える・・・はずでした。
なんと、デッキの壁はビニールシートで覆われてしまっています。
そこに、ベッドがたくさん並んでいました。
デッキが安い船室になっていたのです。
何年か前に、船が沈没して乗客が何人乗っていたのか正確にはわからないというはなしを聞いていました。
このデッキを見たときに合点がいきました。
これじゃあ、定員も何もありません。
乗せられるところに乗せられるだけ乗せているという感じでした。
しかも、船の乗組員が自分勝手に乗客を乗せているそうで、こういう人たちは乗客名簿に名前がありません。
何人乗っていたのかわからないというのもうなずけます。

いよいよ出航です。
4時ごろだったでしょうか?
マニラに着くのは1月1日の朝の7時頃です。
15時間の船旅。
ちょっと不安でした。。。

もうちょっとだけ続きます。
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2008年11月05日

バコロド旅行 〜その7〜


知り合いのフィリピン人からちょっと怖いはなしを聞きました。
息子さんの同級生のお母さん。
この前の試験休みを利用して、家族で海外旅行をしようとしたようです。
銀行の窓口でドルを下ろしました。
6万ドルだそうです。

たぶん、窓口で大金を下ろすのを見ていたか、銀行に内通者がいたかどちらかでしょう。
強盗のターゲットになってしまいました。
銀行を出たところから車がつけてきました。
信号で止まったところで、隣につけた車から銃が・・・。
『ドアを開けろ!』という強盗に、運転手がドアを開けずに逃走したそうです。
怒った強盗が銃を乱射しました。
その一発が運悪くお母さんの背中に当たりました。
即死だったそうです。

クリスマスが近くなってくるとこういうはなしが増えてきます。
気をつけようにも気をつけようがないようなところはありますけど、やっぱり気をつけなきゃ。。。
特に今年は世界的な不景気なので、余計ですよね。
合掌。

というわけで、昔のはなしに行きましょう。
続きです。

バコロド旅行もそろそろ終わりに近づいてきました。
なかなか楽しい旅行でした。
バコロドで一番いいホテルの一番いいスィートルームです。
ホテルでは、連日のように結婚披露宴がありました。

旅行代理店のご主人の解説です。
フィリピンでは、兄弟が同じ年に結婚するとどちらか片方がうまくいかなくなるという言い伝えがあるそうです。
なので、もう今年も終わりという時期に、他の兄弟が結婚していないということを確認したうえで結婚式を挙げるのだそうです。
旅行代理店のご主人夫婦もやっぱり12月の30日頃に式を挙げたんだそうです。
そんなわけで、12月はフィリピンでは結婚式のシーズンなのです。

バコロドというところは、スペイン人がフィリピンで最初にサトウキビのプランテーションを始めたところです。
島全体を3つとか4つのファミリーで所有しているといわれていました。
貧富の差が激しいところというわけです。
このホテルでの結婚式はかなり豪華なものばかりでした。

いよいよ帰るときが近づいてきました。
12月31日です。
バコロドから船に乗ってイロイロに向かいます。
イロイロというのは、バコロドの対岸のパナイ島にある大きな町です。
朝8時にバコロドの港に行って、約4時間の船旅でした。
途中、少し大きめの島がありました。
天気もよくて波もなく、なかなか快適なクルーズでした。

もうちょっと続きます。

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2008年11月04日

バコロド旅行 〜その6〜


またマニラで殺人事件がありました。
日本人が殺されたのが今年8件目だそうです。
怖いはなしです。
気をつけなきゃ。。。。

さて、前置きは短めに・・・続きです。

カジノから帰ってくるとおくさんが荒れていました。
旅行代理店の女将さんが心配しています。
おくさん、酒癖が悪いのです。
しばらくすると寝てしまうのです。
最近は、糖尿病になってしまったこともあり、めったに飲みません。
飲んでも、この頃のように荒れることはなくなりました。
年をとったということでしょうね。。。

次の日、旅行代理店のご主人が『ゴルフに行こう。』と誘ってきました。
いつの間にかホテルのマネージャーとはなしをしてあって、段取りを取っていました。
行かないわけにはいきません。
寝ていたおくさんを起こして、『ゴルフに行ってくるよ。』と告げて出かけます。
夕べとはうって変わって穏やかでした。
ワーッとなったらそれでおしまい。
後は覚えてないのです。
よっぱはやですよね。

ゴルフ場にいくとマネージャーが迎えてくれました。
パンニョという名前の人です。
パンニョというのはタガログ語でハンカチのこと。
普通、こんな人の名前を覚えていることはないのですが、妙に印象に残る名前でした。
プレーをしたのはネグロスカントリークラブ。
こちらは、マカティの旅行代理店のオーナー一行ですので、ゴルフ場もVIP扱いです。
マネージャーがそれなりに気を使ってくれているのがよくわかりました。
おもしろいものですね。

まずは貸しクラブを借ります。
フェアウェーはなんだか雑草だらけだったような記憶があります。
スコアは、たぶん120くらい打ったと思います。
よく覚えていません。
印象的だったのは、第2打をうとうとして5番アイアンを抜いたときです。
構えて握ると違和感があります。
なんと、左手の親指があたるところに穴が開いています。
シャフトが見えてしまっているのです。
いくら貸しクラブといっても、これはないですよね。

ラウンドが終わるとパンニョがよってきました。
『いかがでした?』
『楽しくラウンドさせてもらいました。なかなかいいコースですね。』
もう二度と来ないようなゴルフ場に文句を行っても始まりません。
実際にレイアウトは悪くなかったような気がします。
『昔は名門のコースだったんだけどな・・・』
旅行代理店のご主人の言葉が印象的でした。

もうちょっと続きます。

posted by マニラのおぢさん at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

バコロド旅行 〜その5〜


今日は『死者の日』です。
朝からおくさんたちはお墓参りにいきました。
5時に出かけるとか夕べは言っていたのですが、7時少し前に目を覚ましたら・・・、まだいました。
結局8時頃です。出かけたのは・・・

そんなわけで、続きです。

ちょうどその少し前、日本の週刊誌などで、日本大使館の二等書記官が中国人の金貸しにカジノで巨額の借金を作って懲戒免職になるという事件が騒がれていました。
私も建設会社にいたときに、その記事を読んだ記憶があります。
この二等書記官、マニラのカジノではミスター百万ドルと呼ばれていたそうです。

なんと旅行代理店の社長はこのミスター百万ドルと一緒にカジノに通っていたそうです。
最初は、ミスター百万ドルの賭け方をみて、『このままほうっておいてはいけない。誰かがついていてあげなきゃいけない。』と思いました。
やがてミイラ取りがミイラになってしまったというわけですね。

カジノの金貸しというのは誰かの紹介がないとお金を貸しません。
徹底した信用調査をして、枠を決めるのだそうです。
日本大使館の二頭書記官といえば信用は抜群です。
この人もマニラでは名の通った旅行代理店の社長ですから信用は問題ありません。
枠の範囲内で即金で貸してくれるのだそうです。
借りたお金は、その日のうちに勝負に勝って返せば金利ゼロ。
翌日になると5%を上乗せしなければなりません。
・・・・その先は、怖くて聞けませんでした。

ともあれ、こうしてふたりは中国人の金貸しからお金を借りて、やがてにっちもさっちもいかないようになってしまったというわけです。
『はまってしまうとお金がお金だと感じられなくなってくる。』そういっていました。
気をつけないといけませんね。
結局、おくさんに手をついて謝って、何とか許してもらって、日本で働いて戻ってきたというようです。
そんな人が、いくら旅先とはいえ『カジノに行ってみよう。』というのですから、これもまたこわいものです。
『バカラで1万ペソや2万ペソ勝ってすぐ帰ろうと思えば、いつでも勝てる。』そんなことを言っていました。
なんともはや・・・・。

ともかく夕食の後、ふたりでカジノに出かけました。
バコロドのカジノはこじんまりとした感じで、お客さんもそんなに入っていません。
旅先でのこともありましたし、小さく賭けて2時間くらい遊んだところで帰りました。
勝ったかどうかなんて覚えていないくらいです。

まだまだ続きます。。。
posted by マニラのおぢさん at 13:14| Comment(1) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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