2008年10月30日

バコロド旅行 〜その4〜


とってもよい天気になりました。
夕べ、また悩ましい相談を受けてしまいました。
それにしてもひどいはなしです。
いつか昔話になってここで書ける日が来ればよいのですが。。。

そんなわけで、続きです。

旅行代理店のご主人一家がやってきました。
一行は6名さまです。
お子様は男の子がふたりと女の子がふたり。
子供と言ってもみんなすでに10台の半ばを過ぎています。
男の子たちはズボンをお尻のところまで下ろしてはいていました。
そのころから流行だったのですね。
若い子供たちと触れ合う機会が少なかったので、はじめてみたときには奇妙なものでした。
でも、これ以来我が家の息子たちもズボンをお尻のところではくようになってしまいました。
とても仲がよくて優しい子供たちです。

男の子はみんなご主人とイニシャルが一緒、女の子はみんな奥様とイニシャルが一緒でした。
旅行代理店のご主人いわく。
飛行機のチケットは名前のイニシャルとファミリーネームが表記されます。
イニシャルが同じだったら、子供たちで使い回しができるそうです。
そんなことを考えて名前って付けるものですかね???
さすが旅行代理店って感じですね。

少しこの旅行代理店のお話をしましょう。
マニラでは老舗です。
もともとは、奥様のお父さんがやっていたお店だそうです。
奥様とは彼女が日本に留学していたときに知り合って、結婚したそうです。
上智大学だったと思います。
恰幅のよい日本語がすごく上手な奥様でした。

マカティのレガスピビレッジの通りに面したビルの1階に大きな事務所を構えていました。
オフィスには日本人の男性がひとりいて、わたしが建設会社に勤務していたころずいぶんお世話になったものです。
この旅行の2〜3年前のことだったと思います。
突然オフィスが1階から3階に移転しました。
オフィスの大きさも3分の1くらいになってしまいました。
ご主人も見かけなくなってしまったのです。
うわさでは、博打にはまってしまって巨額の借金を作ってしまい、本人は借金を返すために日本に働きに行っているということでした。
本当のところはよくわかりません。
とにかく1年くらい姿を見かけなくなったことは本当でした。

旅行代理店は、今もこの3階の小さなオフィスで営業しています。
当時と比べて日系の競争相手も増えて大変だと思います。
このとき、一緒に旅行した娘さんが店を手伝っているそうです。
最近、長いことご無沙汰してしまっていて、お会いしていません。
旅行に行かなくなってしまったものですから・・・・。

はなしを戻しましょう。
空港でカジノを見つけたご主人、『いるうちに一回行きましょう。』と言ってきました。
懲りない人です。
『いいですよ。』と返事をして、『本当に大丈夫なんですか?』と聞き返しました。
『もう大丈夫です。』
そういって、うわさの真相を話してくれました。
ちょっと信じられないようなはなしです。

次回のお楽しみということで・・・・。
続きます。
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2008年10月28日

バコロド旅行 〜その3〜


ちょっといやなことがあって少し落ちています。
年をとってくると自分の力ではどうにもならないことが増えてくるものです。
このところ少し重なって、元気がありません。
ブログの更新が滞りがちなのもそのせいかも?!

がんばって昔話の続きです。

ホテルに着いた次の日、朝ホテルの中を探検しました。
そんなに大きなホテルではありません。
小さなレストランというかコーヒーショップがあって、ロビーのところは吹き抜けでした。
3階建てか4階建てだったと思いますが、とにかく天井まで吹き抜けなのです。
そのまま外に出てみました。

ホテルの前の通りはメインストリートのようで、広いまっすぐな道に面しています。
通りもきれいで、『きれいな町だな・・・』というのが私のバコロドの第一印象でした。
スペインの町です。
いったことはありませんけど。。。
朝食を食べてしばらくするとお兄さんが迎えに来ました。
その日は、お兄さんの家に遊びに行くことになっていました。
子供たちを起こして、そろそろと出かけます。

バコロドを出てしばらく走ったサガイという町にお兄さんの家はありました。
おくさんが生まれたところです。
なんのことはない普通の町でした。
ちょっとしたサブディビジョンという感じのところにお兄さんの家はありました。
それほど大きな家ではありませんでしたが、ブロック造りのしっかりした家でした。
小さな庭もついています。
ゲートの近くに車を停めて中に入りました。
中はがらんとしています。
一通り、家具はそろっていたのですが、飾りというものがほとんどありません。
10年以上も船乗りをして、それなりの給料をもらっているにしてはなんともさびしい限りです。
後で、おくさんに聞いたところお兄さんのおくさんというのは、マージャンが大好きでお兄さんが船に乗っている間はほとんど毎晩のように近所でマージャンをしているそうです。
おくさんは義理のお姉さんのことがあまり好きではありません。
お兄さんはその前にも別なおくさんがいて、うちのおくさんはそっちのほうにずいぶんかわいがってもらっていたようです。
それを浮気をするような感じで今のおくさんにくっついてしまって、前の奥さんは捨てられてしまいました。
前のおくさんに同情的だったと言うわけです。
といっても10年以上も前のはなしでした。
フィリピンではごくごく普通にあるはなしです。

それから近くにあるスイミングプールにみんなでいきました。
スイミングプールといっても川をせき止めた感じのプールです。
小高い山の中腹にありました。
こういうところで飲みだすときりがありません。
そういう雰囲気にならないように十分に気をつけて、早めにホテルに帰りました。

やがて、旅行代理店のご主人一行がバコロドにやってきます。
お兄さんに頼んで借りてもらったバンで空港まで出迎えに。
このバンは滞在期間中、ずっと借りっぱなしになっていました。

まだまだ続きます。。。
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2008年10月22日

バコロド旅行 〜その2〜


バコロドに行ったのは1995年のことだったと思います。
12月のクリスマスを過ぎてからのことでした。
マニラからバコロドまでは飛行機で行き、帰りはイロイロに渡ってマニラまで船で帰ってこようという日程でした。
船の上で年越しをしてみたいというのがメインでしたので、帰りは12月31日の出発でマニラ着が1996年の1月1日ということになります。
この計画は結果的には失敗だったのですが、それは書いているうちに出てくると思います。

さて、12月27日の夜、私たち家族はフィリピンエアラインでマニラからバコロド行きの飛行機に乗り込みました。
一緒に行く旅行代理店の家族は2日後の合流です。
旅行代理店の営業の関係で27日には一緒に行けません。
バコロドの空港には、お兄さんが迎えに来てくれることになっていました。
子供たちはこのときが初めての飛行機でしたので、思いっきりはしゃいでいました。

マニラの国内空港まで運転手に送ってもらって荷物を降ろしているうちに、いつの間にか二男が見当たらなくなってしまいました。
荷物を下ろして、さあ搭乗手続きというときです。
しばらくすると『パパ!』と呼ぶ声が聞こえます。
手続きなんか無視して、どんどん先に行ってしまっていたのです。
これだから子供は困ります。
長男が追いかけていって連れ戻りました。

ちょっとしたハプニングでしたが、無事に搭乗手続きも終えて、家族そろって機上の人となりました。
フィリピンエアラインは、PALという頭文字をもじってPlane Always Late(飛行機がいつも遅れる)と陰口をたたかれていましたが、このときはひどく遅れることもなく、ほぼ予定通りに飛び立ちました。
たぶん1時間半くらいのフライトだったと思います。
無事にバコロドの空港に到着しました。

バコロドの空港はやはり田舎の空港です。
飛行機のタラップを降りて、歩いてターミナルの建物まで向かいます。
ちょうど年末を田舎で過ごす(たぶん?)人たちで飛行機も一杯でした。
建物(と言ってもほとんど屋根があるだけだったような・・・)に入って、荷物が降りてくるのをまっています。
係員が荷物をテーブルの上にどんどん乗せていきます。
乗客はその中から自分の荷物を見つけてもっていくという方式です。
これでもいいんだ・・・みたいな感じでした。
特にトラブルにはなりません。

空港を出ると、お兄さんが白いバンで迎えに来てくれていました。
近くの友達から、借りてきてくれたそうです。
空港から予約してあったホテルへ。
バコロドの市内にある一番のホテルのスィートルームとシングルルームを予約してありました。
ホテルの名前はもう忘れてしまいました。
なんせ昔のはなしです。
空港から出るときれいなネオンサインが目に入りました。
カジノです。
バコロドにもカジノがあるというのを知りませんでした。
その回りには、飲み屋のようなものが何件か並んでいました。
空港の周りが一種の歓楽街になっているのですね。
面白いものです。

その日はチェックインを済ませて、お兄さんとしばし歓談。
と言ってもはなしをしていたのはおくさんと子供たち。
私は、部屋でごろごろしていました。
さすがスィートルームです。
ベッドルームのほかにもう一部屋、応接室のようなものがついていました。
こじんまりとした清潔なホテルでした。

続きます。


posted by マニラのおぢさん at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

バコロド旅行 〜その1〜

ずいぶんと更新をサボってしまいました。
楽しみにしていてくれた人、ごめんなさい。
また今日から少しずつ書いていきたいと思います。

さて、私のおくさんはネグロス島のバコロドという空港がある町の近くの田舎の出身です。
ネグロス島というのは、サトウキビの島でスペイン人のプランテーションが発達した島で、島全体を少数のスペイン系のファミリーが所有しているといわれているところです。
スペイン人との混血が多く、美人の産地としても有名です。
ミス何とかという美人コンテストでも、この島の出身者が圧倒的に多いそうです。
私のおくさんがどうこうとは言っていませんので、勘違いしないように。。。

といっても、おくさんは小さい頃にマニラに引っ越してきたので、あまり記憶はないようです。
島にはおくさんのお兄さんが住んでいます。
このお兄さんは船乗りで、貨物船のコックをしています。
ですので、ほとんど海の上ですごしています。
1年のうち10ヶ月を船で過ごし、2ヶ月をバコロドで家族と過ごすという生活を何年も続けています。
留守を守る奥さんが、マージャン大好きなおくさんで結構たくさん給料をもらっているのにほとんど貯金がありません。
そろそろ、船に乗るのもきつくなる年齢になってきているのですが、どうするんでしょう?
少しは貯蓄すればいいのにね・・・・。
あまり人のことは言えませんけど。

さて、このお兄さんが船を下りている間に、一度くらいバコロドに行って見たいという気まぐれを起こしました。
工場に勤務してからというもの、クリスマスから年末年始までの期間はたっぷり休日です。
どうせなら、大晦日の晩を船で過ごしたら楽しいんじゃないかと思いました。

そんなわけで、旅行代理店に相談にいきました。
この旅行代理店は、私が前の建設会社にいるときからお世話になっているところで、日本人の経営しているところです。
今でこそ、日本人の旅行代理店もたくさんできて来ていますが、当時はまだそれほど数もありません。
そんな中で、ずっと昔から店を開いている老舗でした。
おくさんがなかなかやり手で、いい加減なだんなを守り立てている感じ。
肝っ玉母さんという感じの恰幅のよい女将さんでした。

相談に行って、『バコロドに行きたいんだけど・・・』という話しをすると、『よい機会なので、私たちも一緒に行きたい。』といいます。
向こうは子供が4人で6人家族。
我が家も子供が4人の6人家族でした。
まだ三女と三男が生まれる前の話しです。

『いいですね。一緒に行きましょう。』
旅慣れている旅行代理店のご主人が一緒に行ってくれたらこれほど心強いことはありません。
そんなわけで珍道中が始まることになりました。

長くなりそうですね。
続きはまた今度。。。
posted by マニラのおぢさん at 23:41| Comment(1) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月12日

不正事件発覚 〜その3〜


一日ごろごろしていました。

久しぶりにゴルフの練習にでも行こうかと思っていたのですが、いつも積極的に誘ってくる三女の元気がありません。
昨日、買い物に行ったときにセキをしていたのが気になってはいたのですが、今朝になって熱も出てきたようです。
風邪ですね。
メードから始まった風邪。
どうやらこれで一回りというところでしょうか?
食欲もしっかりありますし、熱もそれほど高くないようです。
このまま元気になってくれればよいのですが。。。

さて、昔のはなしと行きましょう。

工場長の秘書から回答書を受け取って、改めて調査を開始する手はずになっていました。
まずは、工場長の偽造されたサインの筆跡確認です。
さて、どうすればいいんでしょう?などと考えているうちに、工場長の秘書は会社に来なくなってしまいました。
『クビにしてやる!』といきり立っていた工場長も拍子抜けです。
全面否定の回答書を提出してきた以上、堂々と知らん振りして会社に出てくるものと思っていました。
普通はそうですよね?

1週間くらいたったでしょうか?
突然労働雇用省から訴えが出ているとの手紙が届きました。
工場長秘書、会社に自分で出てこなくなったくせに『不当解雇』で会社を訴えたのでした。
まったく不思議なはなしです。
解雇のかの字も本人には言っていません。
それが『不当解雇』ですので、何がなんだかわかりません。

訴えによると、彼女は自分の職務を真面目におこなっていただけなのに、業務上横領の疑いを掛けられ、不当に解雇されたとなっています。
OO月XX日に出頭しなさいという命令がついていました。
労働雇用省の調停人によるヒアリングです。

早速弁護士に連絡を取りました。
調停には弁護士に行ってもらいます。
出頭の日まで一週間もありません。
弁護士に日程の調整をしてもらって、とにかく出席してもらうようにしました。

1回目の調停の日、指定された時間に人事部長と弁護士が出かけていきました。
結局その日は、訴えたほうが出席してきませんでした。
次のヒアリングの日を決めただけでおしまいです。
双方、都合がよいとか悪いとか、なかなか調停が先にすすんでいきません。
これがフィリピンですよね。
呼び出した調停人が急に都合が悪くなって1週間延期なんてこともしょっちゅうです。
とにかく時間がかかります。
儲かるのは弁護士だけ。
調停に出かけるたびに別料金で請求してきます。
弁護士の商売のために引き伸ばしてるんじゃないかと思うくらいでした。

それでも、何度か調停を重ねていきました。
そんなある日、弁護士からレターが届きました。
『示談にしたらどうか?』というものです。
このまま調停を続けていても結論が先送りになるだけです。
調停が不調に終わったら、次は裁判です。

労働雇用省の調停は、100%労働者側に有利な裁定が出ます。
これに不満があれば裁判所に訴えるわけですが、このときには慰謝料相当分を保証金として積み立てなければなりません。
もちろん、裁判に勝利すればこの保証金は返ってきます。
しかも、最初の労働裁判では、やはり労働者側に有利な裁定が出ます。
裁判でまともに闘おうと思ったら、最高裁まで行かないとまともな判決は出てこないそうです。
気の遠くなるような裁判の日々が待っているのです。
もちろん、業務になんの支障もありません。
弁護士がすべて代理でやってくれるのです。
・・・これが結構高いんですけど。。。

結局、示談に応じることになりました。
1年につき1ヶ月の退職金を支払うことにしたのです。
弁護士は、『これで一件落着』みたいなえらそうな顔をしていました。
だいたい、彼が『絶対勝てる』というので始めたはなしです。
退職金を支払って示談にしたのは自慢にもなんにもならないはずです。
・・・が、得意げでした。
この辺の頭の構造はよくわかりませんが、雇用問題になると、結局こういう結論に到達するケースが多いようです。

やっぱり、もめないのが一番ですね。。。
(≧∇≦)/ ハハハ



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posted by マニラのおぢさん at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

不正事件発覚 〜その2〜


激しく放置してしまいました。
なんとなく忙しくなってしまい、申し訳ありません。
今日もマニラはよい天気です。

我が家のあるビレッジでは、毎週木曜日、公園でマーケットがオープンします。
売っているのは、肉や魚、野菜など。
おくさんが散歩をかねて出かけていきました。

さて、昔のはなしの続きです。

工場長の秘書の不正(横領ですね)が発覚して、『さあどうしようか?』ということになりました。
弁護士に相談したほうがいいだろう・・ということになって、顧問弁護士のところにいきました。
出てきたのは30くらいの若い弁護士です。
労働法の専門ということだったのですが、見るからに頼りありません。
(本当にこいつで大丈夫なのかな?)と、思ったのですが、他に選択肢もありません。
他の弁護士に相談するという気持ちは当時の2代目ボンボンばか社長の頭にないことはわかっていました。

事情を説明して、対処方法を相談しました。
弁護士のアドバイスは、まずは真相を究明すること。
こういうケースでは、当事者に事情を説明する機会を与えなければなりません。
文書で説明を求めるのが先です。
すでに信頼関係がなくなってしまっているので、工場長秘書をこのままにしておくわけにはいきません。
このときはまだ工場長は、『いい子だし、今までよくしてくれたから、クビにするのはどうも・・・』などと同情的なことを言っていました。
それでも一応、弁護士に『これで解雇ができるか?』と聞いてみました。
弁護士は、『不正事件がはっきりしているのだから、間違いなく解雇できます。』といいました。
あまりの即答にこちらが疑問に思うくらい。
(本当に大丈夫なのかな?)と思いつつ、弁護士事務所を後にしました。

翌日、人事部長から本人に対して事実を確認する文書を発行しました。
『こういう事実が報告されているが、これに対して事情説明を文書で24時間以内に提出しなさい!』
という中身のものです。
本人から受け取りのサインを取って保管します。
このまま回答がないようだと、事実を認めたことになってしまいます。
その日、文書を受け取った工場長秘書は会社を早退しました。
『気分がすぐれない。』
という理由でしたが、本当のところは弁護士にでも相談にいったのでしょう。

翌日、回答書を作って提出してきました。
予想されたことではありましたが、全面的に否定です。
回答書には、こんなことが書かれていました。
立て替え金の清算はすべて工場長または日本人職員の指示に基づいて行ったものです。
経理から受け取ったお金はすべて清算を依頼した人にお渡ししています。
領収書やサインの偽造などした覚えはまったくありません。

これを真に受けると、領収書の偽造は日本人の仕業で、お金を受け取ったのも日本人、不正をしたのは日本人職員ということになります。
ここに来て、それまで多少同情的な面を残していた工場長の怒りが頂点に達してしまいました。
全部(ほとんど)自分のせいにされてしまったわけですから、その気持ちもわからなくはありません。
懲戒解雇以外にない!という強硬姿勢に変わってしまいました。

さあ、全面対決です。
おもしろくなってきましたね。
もうちょっと続きます。



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posted by マニラのおぢさん at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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