2008年08月29日

フォーチュンアイランドの思い出 〜その2〜


日曜日、釣りに行くことになりました。
今年は、何度も計画しては天候に恵まれず、実に久しぶりのつりです。
場所は、なんと、フォーチュンアイランド。
今の様子がどうなっているか見てきますね。

それにしても、なんだかPCの調子がよくありません。
動作が異常に鈍くなっています。
少し重たくなってきたんでしょうか?
・・・どうすればいいんでしょう??
誰か教えてください。。。

さて、昔の話です。

フォーチュンアイランドには、ナスブの小さな港からスピードボートで行きます。
スピードボートで島に着くと、ポリタンクをつなげたような浮き桟橋がありました。
ここにスピードボートがつきます。
この浮き桟橋、今はありません。

桟橋で降りて島に向かうと、きれいな砂浜です。
もともとこの島には砂浜はなくて、この砂はどこかから持ってきた人工のものだと聞いたことがあります。
とてもそうは思えないきれいな砂浜でした。
砂浜を歩いて島のほうに向かっていくと、木でできた階段がついていました。
結構急な坂道です。
何段か上がったところに小さな小屋があって、ダイビング用のボンベなどがおいてあります。
お土産なんかもここで売っていました。
おもにTシャツとか、水着とか・・・そんなものです。

この小屋の裏に小さな池があって、そこに海がめの赤ちゃんが泳いでいました。
この島で、海がめが産卵をするそうです。
産卵した卵をふ化させて、少し大きくなってから海に返します。
・・・?ということは、やっぱり人工の砂浜ではないのかも?!
バンカーで釣りをしているときに海がめを見たことがありました。

さらに階段を登っていくと、木でできた食堂がありました。
その奥にコッテージがあります。
これもやっぱり木製でした。
なかなか雰囲気があります。

左手には、スイミングプールです。
このプール、ダイビングの練習ができるように作られていて、結構深くなっています。
水は、海水です。
最初に行ったときは、まだコンクリートでプールを作っただけという感じでしたが、何度か行くうちに整備されていきました。
プールサイドで食事もできるようになったくらいです。

食堂のさらに右手には、オーナーの別荘がありました。
ここだけはかなり大きな立派なものでした。

さらに右手にいくと、ガリオン船という中世の貿易船の形をした建物があります。
この中は、小さな博物館になっていて、中に写真や陶器などが展示してありました。
何でも、この島の近くで難破船が見つかって、それを引き上げたときの写真だそうです。
陶器は、沈没船の中にあったものでした。

島の右側には石の浜が広がっています。
朝、この辺を散歩していると、小さなヤドカリやかになんかがたくさんいます。
子供たちは大喜びでした。

島の左側は小さな丘になっています。
丘の上には、ギリシャの石柱が何本か立っています。
さらに石でできた彫像も少し。
その裏側は切り立ったがけになっていて、ここから見る夕日はすごくきれいでした。

もう少し島の奥に入ると、もうジャングルです。
ここには、フィリピン鷲が生息しています。
国鳥になっている鳥ですね。
釣りをしていても良く見かけます。

コッテージは、最初に行ったときには4棟しかありませんでした。
1棟に2部屋ずつですので、8室しかなかったのです。
部屋にはベランダがついていて、ハンモックがつるしてありました。
ここで昼寝するととても気持ちがいい。
部屋にはエアコンも一応ついていましたが、ほとんど動きません。
電気がないのです。
食堂の奥のほうに発電機があって、島の電気はこれでまかなっています。
夕方から夜にかけて発電機を回すだけで、後は電気がない状態です。
昼間は、みんな外で遊んでいるので、そんなことはまったく気になりません。
そういえば、小さなソーラーパネルもついていました。

リゾートしかない小さな島なのです。。。



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2008年08月27日

フォーチュンアイランドの思い出 〜その1〜


私の熱は何とか下がりました。
それほど、ひどくならずにすみました。
そのかわりといっては何ですが、おくさんがダウンです。

今日は、子供たちの小学校のペアレンツデー。
子供たちが両親を学校に招待するというイベントです。
いつもはおくさんと一緒に出かけるのですが、(時にはおくさんだけ・・・)ダウンしているので、二女とふたりでいきました。
二女はハイスクールで今日はお休みでした。
二女の持ってきたカゼなんだから、有無を言わせずという感じでしょうか?
さっき、帰ってきたのですが、疲れました。

そんなわけで、昔の話にしましょう。

家族旅行第一弾は、フォーチュンアイランドです。
このブログでも何度か書いていますね。
そうです。
メイドがオーナーのカメラを取っちゃったところです。

まだ、建設会社にいたころ、この島が開発されました。
下請けの社長が会員権を購入して、『いつでもいいから言ってください。』といっていたので甘えさせてもらうことにしたのがはじめです。
場所は、バタンガス州のナスブからスピードボートに乗って30分くらいいたところです。

初めていったときは、長女はまだ1歳。
二女がおくさんのおなかの中に入っていました。
このころはまだおくさんも若くて、大きなおなかで海に入っていたのが印象的でした。

シュノーケリングで海に潜ったときに、大きな貝を見つけました。
巻貝のようでした。
大きさはバレーボールくらい。
泳ぎはあまり得意ではないのですが、何とか近づいて、潜って手でつかみました。
手でつかんだ瞬間、貝から毛むくじゃらの足が。。。
『ゲッ!』
思わず手を離してしまいました。

足のつくところまで戻って、(今のはなんだったんだろう?)と、考えてみました。
よくわかりません。
これは、つかまえてみるしかないのです。
見当をつけてもう一度トライしました。
いました。
足が出るのはわかっていたので今度は驚きません。
何とか捕まえて陸にもって来ました。

リゾートのスタッフに見せると『ハーメットクラブ』といいます。
(なんだろう?)
そうです。やどかりです。
ハーメットというのは、ヘルメットのこと。
それにしても巨大なヤドカリでした。
『おいしい。』といいます。
(こんなもの食べるんかい?)
そのまま連中に上げました。
たぶん、食べたんでしょう。
私たちの食事には出てきませんでしたから。。。

そのころのフォーチュンアイランドリゾートは、まだできたばかりで何にもありません。
海水のプールとニッパやしの小屋が数件あるだけ。
12月はシーズンオフで、私たちのほかにお客はいませんでした。
2泊して、すごく気に入って、もう一泊したいといったら断られてしまいました。
食べるものも水もないといいます。
本土(といってもボートで30分)から、人数分しか仕入れていないのです。
私たちが帰った後は、リゾートをクローズする予定になっていたようで、宿泊延長などもってのほかでした。
ちなみに、12月はこの辺は波が高くて、なかなか近寄れません。
翌年は、波が高くていけないと断られたような記憶があります。

それにしてもきれいなところでしたね。
続きます。



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2008年08月26日

家族旅行のお話 〜序章かな?〜


昨日、二女の熱は39度4分まで上がってしまいました。
おくさんがパニクってしまったので、マカティメディカルの救急へ。。。
それにしても、救急の中は震えるくらいの寒さです。
何でこんなにエアコン効かせるんでしょう?

二女の熱はおかげさまで下がりました。
ところが、今度は私のほうが・・・・
今朝から熱っぽいのです。
おくさんも夕べからゴホゴホしています。
やっぱり病院なんか行くんじゃなかった。
病気をもらいに行ったようなものです。

さて、がんばって昔の話をしましょう。

工場に転職してから一番良かったのは、休みが増えたことです。
特にクリスマスから年始にかけては長期休暇となります。
工場を完全にシャットダウンしてしまって、日本人は日本に帰ります。
建設会社のときは、こういう時期は稼ぎ時です。
工場が動いているときにできない電気や設備のメンテナンスの仕事が必ず入るのでした。
ちなみにフィリピンの休日は、クリスマスの12月24日〜25日と年末年始は12月30日〜1月1日まで。
1月2日から仕事を始めるのがごく当たり前です。
建設会社のときはほぼカレンダーどおりでした。
せいぜい正月三が日を休むかどうかくらい。

ところが、工場は12月23日頃から1月の4日までお休みです。
お客さんの工場もこの時期は会社を閉めます。
なので、安心して休むことができるのです。

それまで、家族旅行ということをあまりしてこなかったのですが、この長い休み、家にずっといても仕方がありません。
そんなわけで、この休みは家族旅行に当てることにしました。
我が家のこの習慣は今でもなんとなく続いています。

家族旅行となると大変です。
おくさんは、『たくさんいたほうが楽しい。』というので、必ずといってよいほどお姉さんの家族を招待します。
ほかにも甥っ子だの姪っ子だのというのがついてきます。
あっという間に15人くらいの大旅行になってしまうのです。
なので、行くのは決まって近場です。
車でいけるところじゃないと大変なのです。
お姉さんのだんなは運転手代わりです。

どこにいってもまず、この夫婦が出かけていって市場を探してきます。
お金を渡すと、適当に食材を買ってきて料理の下準備を始めます。
子供たちと一緒に海で遊んでいるとバーベキューが焼きあがって、そのまま晩御飯。
たいていこんな感じで過ごしていました。

欠かせないのは魚釣り。
これも、いつの間にかお姉さんのだんながバンカーボートを見つけてきます。
高いだの安いだの言いながら、『今から行くか?それとも明日の朝にするか?』とか聞いてきます。
そのときの気分で、そのまま釣りにいったり、翌朝にしたり。
基本、海にしか行きません。
釣りができないところには行かないというのが徹底しているのです。

このお姉さん夫婦のおかげで、旅行ではほとんど何もすることはありません。
お金を払うのは全部私でしたけど・・・。

そんなわけで、しばらくは家族旅行のことでも書いていきたいと思います。
((( ^^)爻(^^ ))) ヨロシク♪



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2008年08月25日

ベッドに恐竜がいる!!!


二女が熱を出しました。
さっき、熱っぽいというので測ったら37度少し。
そんなにひどくはないと思ったので、とりあえずパラセタモールという熱さましを飲ませて、PCで遊んでいました。
長女が部屋に入ってきて『パパ、二女が熱がある。』といってきたので、知ってるよと返しました。
ちょうどおくさんが帰ってきて、なにやら大騒ぎを始めました。
(また大げさな・・・)と思って、二女の部屋にいくと、なんと泣いているではありませんか。
熱も急激に上がって38度を越えています。
あわてて、抗生剤を飲ませて氷枕で冷やしました。
もう39度を越えています。
本人は少し落ち着いたようです。

もう15歳なので、こんなに急に熱が上がるとは思いませんでした。
二女の涙の抗議に謝るばかり。。。
ごめんね。。。

というわけで、昔の話を少し。

長女がまだ3歳くらいのころだったと思います。
突然、熱を出しました。
このころは、そんなに体が丈夫ではなくて、よく熱を出したものです。
突然、大きな声で泣き始めました。

『パパ、恐竜がいる。』
熱のせいで頭がおかしくなったかと思いました。

『どこに?』
『そこ、枕のところ!』

わたしは、大きな枕を持って2度3度とベッドをたたきつけました。
『恐竜は退治したぞ。もういないでしょ?』
『・・・ウン。』
『さぁ、少し眠りなさい。』

長女は、そのまま眠ってしまいました。

翌朝、昨日の熱でうわごとを行っていた長女は、元気に起き出して普通に遊んでいました。
(よかった。。。)
実は、真剣に頭に影響がなかったかと心配していたのです。
子供を育てるって、こういうことの繰り返しですよね。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月22日

一人で置き去りに・・・


台風が通りすぎて、昨日はとてもよい天気でした。
まさに『台風一過』という感じです。
天気が良くて気分が良かったので、釣りの予定を組んでしまいました。
8月31日の予定です。
もちろん『天気が良かったら・・・』という条件付。
このところ、ずっと釣りに行っていないので、天気が良かったらいいですね。
たまにはおいしい魚が食べたい。
(・・・そっちかい?)

そんなわけで、昔の話をしましょう。

工場には、ゴルフをする人が私のほかにふたりしかいませんでした。
一人は副社長。
すでにお年なので、ゴルフは好きなんですがそれほど積極的に行こうという感じでもありません。
日本の役員と兼任でしたので、月の半分は日本です。
移動で疲れたらゴルフどころではありませんよね。

もう一人がイグレシアおやじ。
そんなわけで、彼と二人でゴルフに行く回数が増えました。
イグレシアおやじ、少し禿げ上がっています。
グリーンで、パットをするときに、影がちらちらするので、『影が気になる・・・・』と独り言を言うと、ぼうしをとって自分の頭を指差して、『これか?』などといいます。
かげとはげをかけているのです。
このジョーク、本人は気に入ったようで、かなり使っていました。

ボールがラフに入ると、『イグレシアおやじの耳の上』といってやりました。
耳の上だけは、ふさふさしているのです。

そんな感じで、ふたりで回ることが多かったのです。
ある日のこと、いつものようにふたりで回っていると『今日は12時にもうひとつのゴルフ場に行かなきゃいけない。』と言い出しました。
ゴルフのダブルブッキングです。
午前中に私とラウンドして、午後から別な人と別なゴルフ場でラウンド、元気というかなんというか・・・。
その日は、ちょうど混んでいました。
たぶん、コンペが入っていたのだと思います。

インからのスタートで、16ホール目となる7番のグリーンが終わったところで、『ごめん。もう行かないと間に合わない。最後までちゃんとがんばってな!』そういい残して、一人でいなくなってしまいました。
最後までがんばってといわれても・・・・。

残されたのは、私とキャディー。
ティーショットを打って8番をプレーしましたが、なんとも味気ないものです。
ゴルフは一人でするもんじゃありませんよね。
このときほど痛感したことはありません。

ふと後ろを見ると、知った顔がふたりでラウンドしています。
前の会社の後輩でした。
9番のティーグランドで、後ろの組を待って、『一人で置き去りにされたから、一緒にやろうよ。』といいました。
『ひどいですね・・・』などといいながら、一緒に回ってくれました。
建設会社の後輩ですから、先輩と一緒にラウンドしないなんていえません。

彼らはまだ最初のハーフ。
後10ホール残っています。
結局、私も一緒に後10ホール。
27ホールのラウンドになってしまいました。

一人のゴルフは味気ないですね。。。
置き去りにされると異様に寂しいものです。
(≧∇≦)/ ハハハ



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2008年08月21日

台風でひどい目にあった話 〜その1〜


今日は、朝からものすごい雨が降っていました。
雨足はどんどん強くなって、11時ころがピークだったと思います。
ちょうどマカティのサルセドビレッジで打ち合わせ。
打ち合わせの後、スタバでコーヒーでも飲みながら一服しようということになったのですが、
( ̄(エ) ̄)y-°°°
なんと、スタバの外の喫煙席は雨のためテーブルが並んでいません。
仕方がないので隣のコーヒーショップにいきました。
ビルひとつ分移動するだけでずぶぬれです。
根性で、コーヒーを飲みながらタバコを吸っていました。
まったくタバコ吸いはしようがないですね。。。

そのうち、どんどん雨足が強くなって、結局中に入りました。
すごかった。。。。
どうやら台風だったようです。
といっても通過したのはルソンの北のほうです。
台風が前線を刺激したんですね。
こういうときに大雨になることは結構あります。

家に帰ると、子供たちの学校が午後から雨のため休校になりました。
子供たちが家についたころにはすでに雨は小降りに・・・。
こんなものですかね?

さて、昔の話をしましょう。

台風でひどい目にあったことは何度もあります。
今日は、その1ということで。。。
その2をいつ書くかはわかりませんけど、お許しくださいね。

その日、私は決算の打ち合わせがあってマカティにやってきました。
2時ころの打ち合わせスタートだったと思います。
雨は、そこそこ降っていましたが、土砂降りというほどでもありません。
4時ころに打ち合わせが終わって、そのまま家に帰りました。
マカティから工場までは約1時間かかりますので、工場に戻ってもすぐに帰るようです。
ガソリンだってもったいないので、たいてい午後からマカティで打ち合わせがあるときは直帰です。

そんなわけで、午後からのマカティでの打ち合わせは息抜きの意味でも最高でした。
やがて、雨足がどんどん強くなってきました。
(工場に戻らなくて正解だったな・・・)
などと思いながら、その日は家でのんびり過ごしたのです。

翌日、いつものように朝の6時に起きて会社に行く支度をしていました。
8時から会社は始まりますので、7時には家を出ます。
ちょうど6時50分ころだったでしょうか?
携帯に電話がかかってきました。
ちょうど携帯電話がフィリピンで普及し始めたころで、新しいものが好きな私は携帯電話を個人で持っていました。
私よりもお金持ちでもっと新しいものが大好きな2代目ボンボンばか社長は、当然携帯電話を持っていました。
副社長にも持たせていたのです。

電話の主は、副社長でした。

『今、やっとマカティについた。』
といいます。

『わしはもう工場には行かないから、あんたいってくれや。』
そういわれて、事情を聞くと、どうやら雨がひどかったので5時前に工場を出たようです。
ところが、サウススーパーハイウェーはひどい渋滞でまったく動きません。
ところどころに水がたまって、大変な状態だったようです。

マカティからカランバの工場までの間に水が出る箇所が3箇所はありました。
スーカットの出口付近、スサナハイツを過ぎたアラスカミルクの工場の脇、カランバの最後の料金所の辺りです。
この3箇所は少しの雨でも水につかります。
この日は、ここだけじゃなかったようです。

普段1時間の通勤時間が5時前に出て翌朝の6時です。
なんと13時間です。
『お疲れ様でした。私が工場に行きますのでゆっくり休んでください。』
そういって電話を切って、車で出勤です。
マガリアネスを出てサウススーパーに入ります。
ニコルスの料金所が一番最初に見えてくるのですが、ここまで普段でしたら5分もかからないくらいですが、この日は1時間たってもたどり着きません。
多くの車があきらめてユーターンして帰って行きます。
そうやって帰って行った車の分しか前に進まないのです。
すでに時刻は9時近くなっていました。
ここまで約2時間、歩いても倍以上いける距離で立ち往生です。

携帯から副社長に電話をしました。
『2時間くらい最初の料金所で立ち往生です。どうにもこうにもまったく車が動きません。』
そういうと、前の晩にひどい思いをした副社長が、
『そうだろう。もういいから帰りなさい。』
といってくれました。
結局このまま家に引き返しました。

工場に行こうとしてたどり着けなかったのは、この日がはじめて、というよりも最初で最後でした。
翌日、雨も上がって無事に工場に出勤しました。

日本から2代目ボンボンばか社長がすごい勢いで怒りの電話をかけてきました。
『どうして出社しないんですか?』
雨でどうにもならなかったという話をすると、
『マカティに事務所があるんだから、事務所に出るとか、みんなで集まって打ち合わせをするとかできるでしょ?』
といいます。
何を考えているんでしょう?
工場にいけなかったら、集まっても何の意味もありませんよね。
とにかく、社員を拘束しておきたかっただけなんですから。。。
まったく困った人ですね。

(-^〇^-) ハハハハ




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2008年08月18日

車のタイヤをいっぺんに刺されて・・・


今日は一日のんびりしていました。
おくさんと子供たちは、ディビソリアにお買い物です。
学校が、フレンドシップデートかで、友達同士でギフトの交換をするそうです。
これがなかなか、人数が多いので大変です。
そんなわけで、安物買いのメッカ、ディビソリアにお買い物というわけです。

私は、というとテレビでしばしオリンピックを見ていたのですが、雲が厚いようで映りがいまひとつよくありません。
競技もあまり面白いのはやってませんね。
日本人の勝ち目がない陸上なんて見たくもないですよね。

さて、昔の話をしましょう。

工場に新しく製造部長が赴任して来ました。
まだ35くらいの若いやつで元気でした。
この元気印、パサイロードにあるカラオケの女の子にはまってしまいました。
ほとんど毎日、通うようになってしまっていたのです。

ある日のことです。
いつものようにカラオケで思いっきりお姉さんと仲良くして、帰ろうと思ったらタイヤがパンクしていました。
運転手がタイヤを交換して何とか家に帰って、翌日パンク修理です。
そんなことが何回か続いていました。

『これは絶対におかしい!』ということで、みんなの話題に・・・。
別な人間がその店にいっていろいろと話を聞いてきました。
どうやら、彼のオキニの女の子は、店のバーテンダーと付き合っていたようです。
このバーテンダー、どうもまともな人間ではありません。
おそらく薬物常用者。
彼がオキニとカラオケの席で過ごしているのをすごい目で見ていたようです。
こいつが、車のタイヤを刺した犯人でした。

事態が飲み込めた私たちは、彼にその娘と付き合うのをやめるように説得です。
舞い上がっていた彼はなかなか言うことを聞きません。
『バーテンダーの彼とは仕事の付き合いだけだ』
とか、
『もうはっきり別れた』
などという彼女の言い訳を真に受けてしまっていたのです。

(少し痛い目にあわなきゃダメかな・・・)
などとあきらめかけていたある日のことです。
本人が、もうあの店には行かないといってきました。
前の晩、タイヤを3本いっぺんにやられていたそうです。
車というのは、スペアタイヤがあるうちはいいのですが、3本もいっぺんにやられるとまったく走りません。
どうにもならなくなってしまうのです。
結局、夜中にレッカー車を呼んで車を家まで運んでもらったそうです。
本人はタクシーで帰宅です。
翌朝、運転手が駐車場でタイヤをはずして、近くの修理場に持っていきました。
パンク修理なんてあっという間ですけど・・・・。

おかげで目が覚めたようです。
タイヤが3本パンクしているのを見た瞬間って、よっぽど怖かったんでしょうね。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月17日

コブラ!

久しぶりに土日と続けてゴルフをしてしまいました。
本当は土曜日だけの予定だったのですが、月曜日がお休みになったので日曜日もやろうよというお誘いに負けての連戦です。
それにしても2日連続のゴルフは答えますね。
連日のオリンピック観戦の寝不足もあります。
家に着くや否や、パジャマに着替えてぐっすり寝てしまいました。
さっき起きて、復活!
オリンピックの競技もあまり面白くなくなってきたのでPCに向かっているというわけです。
昼寝をすると夜眠れなくていけませんね。。。

さて、昔の話をしましょう。

工場では、プラスチックのチューブも作っていました。
電線を束ねてチューブでカバーをするのです。
チューブは丸めて倉庫においてあります。
大きな棚にチューブの種類や太さに分けておいてあるのです。
なんと、こともあろうにこのチューブの中にコブラが迷い込んでしまいました。
ちょうどコブラにぴったりの太さだったようです。

製品はそのままお客さんの工場に。
お客さんの工場の倉庫係が、納品されたチューブを受け取るときに、チューブの中から寝ていたコブラがおきだして、のこのこ出てきたそうです。
これは大変、大騒ぎでした。
しばらく格闘して無事に捕獲されたようです。
幸い、けが人もなくてよかったのですが、お客さんから管理体制はどうなってるんだとずいぶんいじめられました。

こんなこともあるんですね。。。
怖いですね・・・・

今日はちょっと短めでした。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月15日

スプーンが300本?!

 

どうにもこうにも元気が出ません。
少しオチ気味です。
・・・何とかしなきゃ。。。

というわけで、気力を振り絞って昔の話です。

ちょっと堅いお話かも・・・。
工場に勤め始めて、経理も見ることになりました。

この国の人たちは、そもそも資産管理というものがまったくわかっていません。
買ってしまったら、後はどうでもいいんです。
フィリピン企業の見積もりが安いのは、人件費が安いこともさておき、見積もりの中に機械の減価償却費が入ってないからじゃないでしょうか?

メイドでも米がなくなってからじゃないと『ない。』といってくれません。
そのときにお金があればいいですけど、なんかの拍子で現金がなかったりすると大変です。
ご飯が食べられなくなってしまいます。
こんな思いをした人、結構多いのでは。。。?

ちょっと話がそれました。
f(^_^; スンマセン

さて、工場でそろそろ仕事をしようかと思った私は、経理部長に資産のリストはあるかと質問をしました。
『ある』と胸をはっていいます。
『ちょっと見せて』
しばらくして、経理部長が資産リストを持ってきました。

すごい資産を見つけてしまいました。

スプーン  300本
フォーク  300本

『何これ?』

『資産です。1年以上使える。』
経理部長が胸を張って答えました。
確かに会計年度を超えて使用できるものは資産というカテゴリーに入るのかもしれません。
それにしても・・・

『で。今何本あるんだ?』

経理部長、当然答えられません。
当たり前ですよね。
こんなものを資産に乗せてどうするんでしょう?

『こんなものを資産に乗せちゃいけないよ。』

経理部長、まだぶつぶついってます。

日本では、資産の計上基準が商法で決まっています。
フィリピンでは、経済的に合理的なものという決まりがあるだけで、何ペソを越えたら資産という決まりはありません。
各社が自分たちで決めていいのです。
そういう意味では、金額の基準を設定せずに、1年以上使えるかどうかという基準で設定してあったのです。
全然、実務的じゃありません。
その上、資産のたな卸しなどやったこともありません。

もうひとつ見つけてしまいました。

工場の建築費です。
工場の建築費の支払いは、前途金を払って後は毎月の出来高払いでした。
普通は、工場が完成するまで、『建設仮勘定』という費目で処理し、完成引渡しを受けた後で、『建物』という勘定に振り替えて、ここから減価償却を開始します。
ところが、この会社では前途金を支払った翌月から減価償却を始めていました。
1軒の工場なのに、減価償却が10回くらい分けてあるのです。

機械の輸入も同じです。
当然、コンテナでもってきていますので、何台もの機械をまとめて輸入します。
減価償却は?・・・もうわかりましたよね。

『O月X日輸入分機械』です。

これ、機械が壊れたり、売ったりした時にどうやって処理するんでしょう?
しかも、通関費用は別に計上、減価償却です。

さてさて、どうしたものでしょう?
まずは、経理部長に説明するところからはじめました。
このままでは資産リストはめちゃくちゃです。
やっと理解してくれたようですので、
『資産のたな卸しをして、機械に番号を振るぞ』ということになりました。

結果、1年以上ほったらかし。
リストのほうは何とか訂正させました。
疲れるでしょう?
でも、このくらいはフィリピンでは当たり前なのです。。。

(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月11日

何でパンツまで替えるの?


連日のオリンピック観戦で疲れています。

昨日なんか、ゴルフが終わった後で床屋に行って、眠いのを我慢してそのまま夜までオリンピックのテレビ観戦でした。
おかげで、今朝は寝違えたようで首が回りません。
若くないんだから、もう少し体をいたわってあげないといけませんね。
(反省・・・・。)

それにしても、中国人って日本人が嫌いなんですね。
サッカー見ていても、相手に大歓声。
柔道の内柴が金メダルを取って、表彰式で日の丸が揚がって’君が代’が流れるときに、何か起きるんじゃないかと期待心配したのは、たぶん私だけじゃないと思います。
一緒におこなわれた女子の金メダルが中国人だったので、何も起きなかったんじゃないでしょうか?
中村美里が勝っていたら面白かったのに、どうなっていたんでしょう・・・・。
日本選手団は、そんな会場の雰囲気に萎縮しているんじゃないでしょうか?
中国がメダルラッシュでお祭り気分になればいいと思いますが、そうじゃないと心配ですよね。

さて、昔の話にしましょう。

工場には、一人だけ家族を連れてきていた人がいました。
私とほぼ入れ替わりのように帰国したのですが、このおくさん、なかなかすごい人です。
倹約かというか・・・ようするにケチ。
日本でもらっている給料には手をつけずに、現地でもらっている手当ての中で、ウン百万円ためたといううわさでした。
徹底しています。
買い物には、ジープニーで行きます。
小さい子供の手を引いて、もちろん服装はどちらかというとみすぼらしい格好、マーケットのおばさんがおまけしてくれるくらいです。
トイレの水は、”小”のときは流しません。
一日に何回か”大”をするときに流せばいいんだそうです。
歯磨きは、チューブを押してでなくなったら、はさみで切り開いて最後まで使います。
こんな感じでしたので、だんなのほうは夜出かけるなんてもってのほかでした。

帰国が決まって、送別会が何度か開かれました。
仲のよかったイグレシア親父が、最後だろうからとお姉さんがお相手してくれるところに連れていきました。
『こんないいところがあったなんて・・・』
どこにもいけなかっただんなさんが目覚めてしまったのでした。
といっても、帰国までは一週間を切っていました。
『もう一回、連れて行って。』
とイグレシア親父に頼んだのですが、おくさんが怖いので一人では外出できません。
『頼むから迎えに来てほしい。』
というのです。

さて、約束の日、イグレシア親父が工場からいったん帰宅して、約束どおりケチ奥さんのだんなを迎えにいきました。
『仕方ないな・・・。行きたくないのに・・・。』
などといいながら、
『ちょっとまっててね。着替えてくるから・・・』
といって、奥に入っていきました。
しばらくして着替えて出てきて、
『行ってくるからな』
と、おくさんに声をかけます。

するとおくさんが、
『ねえ、どうしてパンツまで着替えるの?』
やましい気持ちが十分あるだんなは、しどろもどろになりながら、
『とにかく行ってくる。イグレシア親父がまってるから・・・』
といって、いそいそとでかけてしまいました。
機先を制されただんなはすっかり気落ちして、この日は食事だけで帰りました。

その後、家に帰ってからどんな会話があったのかは、どんなに聞いても教えてくれません。
こわいですね・・・。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月08日

カラオケに狂っただらしない親父


このところ、ちょっとまじめに仕事しています。
予定が入っていなかった日が直前になってどんどん予定が入ってしまいます。
といっても、中にはゴルフの予定なんていうのもあるのですが。。。

そんなこんなで少し疲れ気味です。
創作意欲もわいてきませんね。

何とか力を振り絞って、昔の話しに行きましょう。

工場には、もうひとり日本人がいました。
この人、カラオケが大好きで、実にだらしがない。
工場に勤務するようになってから、しばらくの間はみんなと仲良くしようと思い、できるだけ夜のお付き合いもするようにしていました。
といっても、ほんの少しの間だけです。
あっという間に馬鹿らしくなって辞めてしまいました。

どこの会社にもいるものです。
昼間は、ボーっとしているくせに5時が近くなるとそわそわしだす人。
この人は典型的なそんなタイプでした。
しかも、脇が甘いので、カラオケのお姉さんを自分マンションに連れてきてしまいます。

カラオケというのは、だいたい閉店が2時ころ。
それからミーティングをするらしく、お店の方針がどうとか、今週の売上は誰が一番なので他の人もがんばりなさい、とかそんなミーティングです。
それが終わるとたいてい3時近くなってしまいます。

マカティに住んでいる女の子などほとんどいません。
それから、契約しているタクシーに分乗して家まで帰るわけですが、そんな時間でも1時間くらい走るようなところに住んでいます。
大概、帰るのがいやになってしまいますよね。

このだらしなおじさんのところには、そういったカラオケのお姉さんたちが、毎晩のようにやってきていました。
カラオケからは、歩いてもいけるくらいのところのマンションです。
といっても、そんな時間に歩く人はいません。
しかも、怖いのでたいてい2〜3人でやってきます。
夜の3時ころに女の子が3人くらいマンションにやってきたら、眠ってもいられませんよね。
しかも、フィリピン人ですからやかましいときています。
当然、寝不足になってしまいます。

そのうち、だらしなさもエスカレートしてきます。
本人はカラオケがとにかく大好きなので、毎晩のようにカラオケに行きます。
別にひとつの店に決まっているわけでもありません。
そのうち、彼女というかんじの子ができてきます。

聞いてみたら、日本にいたときから女にはだらしなかったようです。
結局、若いカラオケの女の子と暮らすようになって、子供まで作ってしまいました。
ところが生活は改まりません。
お小遣いも上げずに、カラオケに通ってしまいます。

ある日、『助けてくれ。』と言ってきました。
なんと、マンションの電気が止められてしまったのです。
理由は、電気代の滞納です。
いったん、停められてしまうと、再開のために電力会社まで行かなければなりません。
結構、手間がかかるものです。
電力会社のほうもいちいち止めていたんじゃ大変なので、1ヶ月くらいは電気を止めません。
仕方がないので、電気代を立て替えてあげました。
給料日には、真っ先に取り立てです。

こんなことの繰り返しでしたが、なかなか憎めない親父で、うちの奥さんなんかの受けも良かったのです。
でも、こんな人、フィリピンに赴任させちゃいけませんよね。
会社の責任です。

(-^〇^-) ハハハハ



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2008年08月06日

結婚手続きの話 〜その3〜


昨日、7RINという焼肉屋に行ってきました。
ここは私のゴルフ友達のお店。
このゴルフ友達、娘の同級生の男の子のお父さんでもあります。

店に入って、おくさんに『この前、娘が来たみたいで、お世話になりました。』と挨拶をしたら、最初はわからなかったようですが、『お宅の息子と一緒にきたって言ってたけど・・・』というと、『あー、2回来ましたよ。』といいました。
ちょっとまってよ。
娘は一回しか来ていないといっていました。
奥さんは、2回来ていると自信ありげです。
(どっちが本当なんだろう?)
疑惑が発生しました。

このお店、ウェートレスが夜は青いミニスカートにエプロンというメイド姿になります。
昼間はTシャツと短パンです。
一緒に行った社長が、メイド姿に大興奮。
焼肉もおいしかったですよ。
車も停めやすいし、おすすめです。
あまり高くないのもうれしい!

さて、疑惑の追及は娘が学校から帰ってきたらするとして、昔の話しに行きましょう。
それにしても、年頃ですね、
いろんなことを心配してしまいます。
うそをつく娘じゃないんで、たぶんおくさんの勘違いだと思います。

マカティ市役所での結婚は実に簡単に終わりました。
『これであなた方は夫婦です。』と判事に言われた後、書類にサインをしたら、『もう帰っていいよ。』といいます。
廊下の外には、同じようにたくさんのカップルが並んでいました。
これだけで、判事の仕事は一日終わってしまうんじゃないかというくらいです。
さすが、”バレンタインデー”ですね。

大変だったのはこの後でした。

この後、婚姻契約書を持って日本大使館に届出です。
結婚用件具備証明書を取得したときと同じように、まずは婚姻契約書の日本語訳です。
ほかには、おくさんの出生証明書、この日本語訳、私の戸籍謄本、知り合ったときの経緯書みたいなものまで書かされます。
そんなのお前の知ったことか?といいたくなりますよね。
ただ単に結婚を届け出るだけなのに、何でこんなに書類が必要なんでしょう?

大使館には窓口が3つありました。
そのころ、毎週水曜日は、日本行きのビザの受付がありません。
ビザ以外の手続きは水曜日をねらっていくのが日本人の常識でした。
その分、すいているんです。
もっとも、ビザの部屋は別だったような気がしますが・・・。

水曜日以外に大使館にいくと、ジュピター通りにずらっと列ができています。
日本行きのビザを申請するフィリピン人です。
日本人は、パスポートを見せると、この列に並ぶ必要がありません。
さすがに、大使館のセキュリティーガードは、日本人の顔を見慣れているようで、私のようなよくフィリピン人に間違えられる人でもちゃんと日本人だと見抜いてくれました。

そのころ、ダバオの領事館が日本行きのビザを簡単な審査で発給しすぎて問題になっていました。
また、偽装結婚が増えてきた時期でもあり、大使館の職員の目もかなり厳しくなっていたんだと思います。

窓口は3つあったと思います。
一番左の窓口が日本人の若い職員でした。
何の気なしに、この窓口に並んで、婚姻届の手続きを始めました。
最初は、書類の不備に始まり、すごく細かいところまで注意をし始めました。

当時、マカティはメトロマニラの一部でした。
翻訳書には、メトロマニラ市マカティと書いてあったのですが、これではダメだといいます。
メトロマニラではなく、マニラ首都圏と書きなさい。
こんな訂正が何度となくありました。
たぶん、3回くらい出なおしたと思います。

出直したときに、最初に申請した人と同じ人のほうがいいだろう、と思って同じ人のところに書類をもっていきました。
またなんやかんやと難癖をつけてきます。
この若造、申請者をいじめるので有名なヤツでした。
とにかく、申請を却下するのに快感を覚えているようです。

3回目のときに、2度目とまったく同じ書類を別な窓口に提出しました。
今度は優しそうな日本語の上手なフィリピン人のおばさんです。
あっけないくらい簡単に
『これでOKですよ。』
といわれました。
『え?いいんですか??』
思わず、聞き返しました。
このおばさんがいっていましたが、若造は日本からの出向で、意地悪で有名だったのです。
『あなたもあの人にいじめられたの?何にも問題ないんだけどね・・・』
なんだか、無駄に時間をかけてしまったようです。

受け付けた書類は、外務省を経由して、戸籍のある市町村に届けられます。
2〜3ヶ月かかりますよといわれました。
ちょうど3ヶ月くらいたったころ、日本の母親に頼んで戸籍謄本を取ってもらいました。
戸籍には、OO年2月14日、フィリピン共和国の法律に基づいておくさんと結婚、と記載されていました。

こうして、おくさんとの結婚手続きを終えたのでした。
なんだか、すごく大変だったような気がします。。。
ただ、結婚したことを届け出るだけなのにね!
(≧∇≦)/ ハハハ



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2008年08月04日

結婚手続きの話 〜その2〜


ちょっと放置気味になってしまいました。

理由は全英女子オープン。
最終日まで、きっちり見てしまいました。
それにしても、ちょっと不甲斐なかったですね。
もう少しがんばってほしかったものです。

さて、昔の話をしましょう。

なぞの老人が一足先に結婚手続きを終えていました。
遊びにいっていろいろと話を聞きました。
『おくさんの出生証明書を翻訳しなきゃいけないよ。翻訳はジュピターをはさんで斜め迎えの事務所でやってくれるから。ひげの老人の紹介だって言ってくれたら、すぐにわかるはずだから・・・・』
そんなふうに教えてくれました。

何とかおくさんの出生証明書を手に入れて、早速、翻訳やさんにいきました。
翻訳やさんで、言われたとおり
『ひげの老人の紹介なんですけど・・・・』
といってみました。
『どなたですか?』
全然、通じていません。
親しくしていると思っているのは、なぞの老人のほうで、相手はまったくそうは思っていませんでした。
結構、こういうことは多かったのです。
この人の場合・・・・・。

とはいえ、相手は商売です。
事務的に処理をしてくれました。
別に、誰の紹介という必要もありません。

翻訳やには、出生証明書とまったく同じ書式の用紙がありました。
そこに、住所や名前などを日本語で書き込んで、翻訳者の氏名とはんこを押して、出来上がりです。
後で聞いたら、翻訳者は誰でもいいんですね。
自分で翻訳して、名前とはんこをついておけばよかったようです。

これをもって、大使館にいきました。
結婚用件具備証明書は、すぐに発行してくれました。
確か翌日には手に入ったと思います。

いよいよ結婚です。
教会で式を挙げる人もいますが、私にはそんな気持ちは毛頭ありませんでした。
おくさんもあまり気にしていなかったようです。
とにかく結婚するんだ!という感じでした。

教会で結婚式を挙げるチャーチウエディングに対して、教会で式を挙げない結婚をシビルウエディングといいます。
この場合には、証人を二人以上頼んで、ジャッジ(判事)の立会いの元で式を挙げます。
おくさんのお姉さんとそのだんなさんのふたりが証人でした。
結婚の日付は2月14日。
バレンタインデーです。
バレンタインデーというのは、日本では女性が男性にチョコレート贈る日ですが、世界的には『愛の日』です。
いつも、バラの花とチョコレートを私がおくさんに上げています。
この日は、街の交差点でもバラの花を売る人たちが出ていて、いい商売になっていると思います。
普段の日の5〜6倍に花の値段が跳ね上がるのです。

ともかく、どうせだから2月14日にしようということになりました。
まず、マリッジライセンスというのを取得します。
形式的なものなのですが、誰と誰が結婚をしたいといっているが意義を申し出るものはないか?という公示をするのです。
確か2週間くらいだったと思います。
この間に異議申し立てがなければライセンスが発行されます。

2月14日に、判事の予約を取って、マカティの市役所にいきました。
マカティの市役所では、まずライセンスを提示して、セミナーを受けます。
これも形式的なものでした。
今は、結構ちゃんとやっているようです。
私たちのときは、セミナーの部屋にいくと、担当者に避妊の方法をいくつ知っているか?ときかれました。
いくつかあげると、OKといわれて、マカティの市役所では、コンドームを無料で配布しているので、ほしくなったら取りにくるように言われました。
人口対策を一応やっているんだな・・・とこのとき感じたものです。

それから判事の部屋にいきました。
証人のふたりも一緒です。
映画なんかでよく出てくるみたいに、『あなたは、この人を妻にして云々・・・・』と決まり文句を判事が並べ立てます。
なんて答えていいのか戸惑っていると、判事が『YESといいなさい。』といいました。
『YES』と答えると、
『これであなた方は夫婦です。』といわれました。
そして、書類にサインをして、もちろん承認の二人にもサインをしてもらって、これでおしまいです。
実にあっけないものでした。

長くなってきました。
続きます。



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posted by マニラのおぢさん at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

結婚手続きの話 〜その1〜

今朝はミーティングがあって、いろいろと準備をしていたら時間が足りなくなってしまって、ブログまで手が回りませんでした。
公認会計士とのミーティングです。
12時過ぎに終わって、食事でもしようということになりました。
ミーティング中に、軽食が出ていましたので、あまりおなかがすいていません。
『軽く食事しますか?どこにしましょう??』
というわけで、あずまやというラーメン屋に行くことにしました。

会計事務所のビルを出て、東屋に向かっていたら電話。
『あずまや、ありませんよ。』
『え?なくなっちゃったの??じゃあ、つきじにしよう。』
つきじは、同じ建物の3階にあります。
もともと、つきじのオーナーが、大衆向けの食堂として始めたのがあずまやです。
つきじにはフィリピン人のパートナーがいます。
もともと仲良くしていたようなのですが、昨年(かな?)亡くなって、息子の代になりました。
どうやらこの息子となかなかうまくいかなくて、とうとう店を飛び出してしまったそうです。
その2代目が、あずまやを閉めてしまったみたいですね。
タイ料理の看板が出ていました。

食事が終わったころ、ものすごい雨が降ってきました。
前も見えないくらいです。
ライトをつけて走りました。
怖かった。。。。

ちょっと前振りが長いですね。
昔の話しに行きましょう。。。

工場に移って、なんとなく落ち着いてきました。
ちょうど、きまじめ工場長の事故もあったりして、少し自分のことも考えるようになりました。
まだ、正式な結婚の手続きをしていなかったのです。
ちゃんとしないといけないな・・・と思って、手続きの方法を調べ始めました。

まず最初に必要なのは、自分の戸籍謄本とおくさんの出生証明書です。
これをもって大使館にいって、結婚要件具備証明書という書類を作ってもらいます。
ようするに、結婚を希望している日本人が独身であるということを証明する書類です。
独身を証明するだけですから、いつでも発行してくれてもよさそうなものですが、誰と結婚するのかということを明確にしないと発行してくれません。

私の戸籍謄本はまったく問題がありませんでした。
日本の母親に頼んで送ってもらうだけです。
問題だったのは、おくさんのほうです。

おくさんはネグロス島のバコロドに近い田舎の生まれです。
田舎の役所におくさんのお母さんが里帰りしたついでに出生証明書をもらってきてくれるようにお願いしました。
ところが、役所では原本がないと言い出しました。
シロアリに食われてしまった・・・そうです。
火事で燃えてしまったといううわさもありました。
シロアリに食われて原本がないという証明書を発行してくれたのです。
こんな証明書、何の役にも立ちません。
教会の洗礼証明書を代用するという方法もあったのですが、田舎のことでこっちも当てになりません。

仕方がないので、お母さんが出生証明書を提出しなおしました。
おくさんは、そのとき28歳だったと思います。
28年前の出生届を出すというのがすごいですよね。
これには証人が必要なのですが、近所の人に頼んで証人になってもらったようでした。
ともあれ、出生証明書が手に入りました。

ちょうどこのころ、なぞの老人(ちょっと前の記事に出てきます)が、正式な結婚をしました。
この人60を過ぎて初婚だったのです。
なぞの老人が結婚手続きをしようとして大使館に行ったときに、前に並んでいた日本人のカップルに対して大使館の職員が『お前らがピンころ(差別用語です)なんかと結婚するから、忙しくて仕方がない!』という暴言を吐いたそうです。
なぞの老人、なんにでも噛み付く人です。
『ピンころとは何だ!』と大きな声で怒鳴ったそうです。
怒鳴られた本人は、奥に引っ込んでしまいました。
とにかく、その程度の大使館だったのです。
場所もロハスどおりにある今の立派な大使館ではなく、ボエンディアとジュピター通りに面した小汚い貸しビルの2階でした。

その後、しばらくしてマニラ新聞が大使館の横暴をたたくキャンペーンを連載しました。
これで、ずいぶん大使館の連中の愛想が良くなったのです。

それはともかく、大使館の人にも同情の余地はあります。
60を過ぎたような日本人のお年寄りが、20くらいの若いフィリピン人と一緒に結婚手続きにやってくるのです。
こういう人は、短パンにゴムぞうり、しかも手続き方法をまったく下調べしないでやってくるのです。
そのくせ、『日本に明後日帰らないといけないんで何とかしてくれ!』とかいうのですから、叫びたくなる気持ちもわからないではありません。
私が並んでいたときにも、すぐ前に子供の出生届を出しに来たカップルがいました。
何気なく名前の欄を見て驚きました。
『マラ助』とかいてあったのです。
自分の子供にこんな名前付けますか?ふつう。。。
何を考えているんでしょうね。

あれれ?
なんだか、話がだいぶ横道にそれてきました。
このままいくと収拾がつかなくなりそうですので、続きは明日ということにしましょう。
続きます。。。




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