2008年07月30日

いつだって辞めてやる・・・


昨日はゴルフでした。
朝早く出て行って、ラウンドを終えてマッサージをして家に着いたのが夜の8時近くになってしまいました。

そんなわけで、昨日は更新をパスです。

それにしても昨日のマッサージ、下手だった。
指でグッと押す力が弱くて、手のひらで押すときの力が異様に強いので、つぼの刺激は弱くて、手のひらで押されたところが痛いという感じでした。
いつもいくマッサージ屋で、これまであまり外れはなかったのですが、昨日はいけません。
とはいえ、一緒に行った友人の話では思いっきりいびきをかいて寝ていたそうですが・・・。
(-^〇^-) ハハハハ

気分を変えて昔の話をしましょう。

工場に勤め始めて2週間もたたないうちにここを辞めたくなってしまいました。
イグレシア部長も『辞めたい。いつでも辞めてやる。』とふたことめには口にします。
こういうことを言う人っていますよね。
自分が辞めたら会社が困ると心の中で思っているんです。
大きな勘違いというしかありません。

2代目ボンボンばか社長に、『この会社を変えたい。わたしの力になってくれる人がほしい。』といわれて転職したのですが、いろいろと内情がわかってくるうちに、ばか社長の大バカぶりが見えてきました。
先代社長(つまり本人のお父さん)のやり方を継承する気はまったくありません。
それどころか、先代のやったことすべてを否定し始めたのです。
長く勤めて会社の中核を担っていて、実力のある人たちはどんどん新しい仕事を見つけて転職していきました。
こういう人たちこそ大事なのですが、2代目ボンボンばか社長には、社長の言うことを聞かない頭の古いダメ社員としか写りません。
典型的な会社がだめになるパターンですよね。
先代の義理の弟の専務は、そんなばか社長のやり方に疑問を感じながらも、2代目ボンボンばか社長を盛り立てていかなければいけないと必死で我慢していました。
ばか社長、そんなことはまったく感じていません。
相変わらず、わけのわからない指示を出して、無駄遣いを繰り返しています。

このばか社長、会社勤めをまともにしたことがありません。
先代の社長がフィリピンに工場を進出するという決意をしてばか社長を呼び寄せるまで、アメリカに留学していました。
留学というのは聞こえの良い言葉ですが、本当のところは、30過ぎまで学校もろくにいかず、アメリカで仕送りをもらって遊んでいたのです。

ばか社長が、フィリピン工場立ち上げのためにはじめてフィリピンに来てお客さんのところに挨拶に行ったとき、長いもみあげがありました。
このお客が私がもといた建設会社のお得意さんで、『工場建設の面倒を見てやってほしい。』と頼まれたのが、知り合う最初のきっかけでした。
このときに、口の悪いお客さんがばか社長の容貌を見て、『こいつはアメリカで絵を描いていたんだ。』といっていました。
しばらくは、みんなこの言葉を信じていたのですが、実はまったくのデマです。
ヒッピーのような(ヒッピーの人、ごめんなさい)格好をしていたものですから、冗談のつもりで『絵を描いていた。』といったようですが、あまりにもぴったりの雰囲気なので、みんなその気になってしまったというのが本当のところでした。

ある日社長室で話をしていたら、こんなことを言い出しました。
『私はオーナー社長です。この工場の中にある石ころひとつまで、全部私のものです。』こんなこと、口に出さなくてもわかっていますよね。
口に出さなきゃいけないところに彼の悲劇がありました。

転職というのは、一度うまくいくと怖くなくなるものです。
『何とかなるだろう。』みたいな感じで腹が据わってしまうのです。

(いつでも辞められる。。。)そんな気持ちで毎日を過ごしていました。
せめて3年くらいは働こうかな・・・とは思っていましたが。

しつこいようですが、勤め始めてまだ2週間もたっていなかったのです。
なんとも・・・・
笑うしかありませんね。。。
(≧∇≦)/ ハハハ




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2008年07月28日

お昼を食べるのも大変でした。。。

昨日はすごい雨でした。
夜のニュースで、メトロマニラのエレメンタリースクールとハイスクールが休校になるといっていました。
子供たちはみんな学校お休みで、うちでごろごろしています。
天気は・・・・ はれています。

こんな感じで休校になって、晴れていることの多いこと。
だいたい、雨が降ったらお休みってなんだか工事現場みたいですよね。
困ったものです。

さて、昔の話をしましょう。

工場にはキャンティーンがありました。
従業員はご飯はただです。
会社が全部ご飯だけは支給です。
おかずはそれぞれがお金を払って食べますが、一品が10ペソくらいだったと思います。
とにかく、まだまだ貧しいころでした。
今もあまり変わりませんが・・・・
ご飯だけでも食べてもらわないと、工場の作業中に倒れてしまっては大変です。
そのころ操業を開始した工場では、ご飯がただというのが一般的だったと思います。
みんな、ちびたような干し魚でご飯を2杯くらい食べていました。

そのころは、カランバというところはひどい田舎でした。
今でこそ、近くに工業団地がたくさんできて、日本食レストランもあります。
今はそんな日本食レストランから仕出し弁当をとって食べるのが一般的です。

そのころは、そんなものもありません。
かといって、キャンティーンで食事をする気にはなれません。
みんなそうでした。
では、どうしていたかというと、朝の9時ころ、日本人スタッフの一人が『今日は何を食べますか?』とたずねてきます。
おのおの、カツどんとかラーメンとかカレーライスとか好きなものを注文します。
彼はその注文を聞いて、マカティにあるらあめん亭に電話を入れます。
ラーメン屋もまだそのころは多くはありませんでした。
新宿ラーメンができたかどうかくらいの話です。
ただ、新宿ラーメンは11時を過ぎないとオープンしていなかったと思います。
その時間に注文を受けてくれる『日本食屋』はらあめん亭くらいしかなかったのです。
らあめん亭はパサイロードの今のパークスクエアの外れぐらいにありました。

日本人スタッフには一人1台運転手つきの車が与えられていました。
運転手も同じ数だけいます。
この運転手が順番を決めて、毎日一人マカティに向かうのです。

10時ごろになると運転手がお金を持ってマカティに向かいます。
片道が約1時間。
往復で2時間の道のりです。
料理が出来上がるのをまって運んでくるわけです。
工事や事故で渋滞なんかがあると大変です。
もちろんそのころはまだ携帯電話などありません。
12時を過ぎても運転手が帰ってこないこともたびたびでした。
みんなでおなかをすかせて、会議室でタバコを吸いながら、帰ってくるのを待つ意外に方法がないのです。

間が抜けた話ですが、そんな毎日でした。
(≧∇≦)/ ハハハ



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2008年07月27日

イグレシア・ニ・クリスト


子供たちが映画を見に行ってきました。
今帰ってきたばかり。
男の子たちふたりと女の子たち三人、別な映画を見てきたようです。

三女が帰ってくるなり、泣いています。
どうやら長女と兄弟げんかをしたようです。
原因は、飲みかけのコーラを紙袋に入れていたのがこぼれて本にかかったとか、実にくだらない話です。
まぁ、小さい頃ってそんなものですよね。
家を出かけるときは仲良く出て行ったのに、困ったものです。
少し落ち着いたら説教してやんなきゃ。。。

さあ、昔の話をしましょう。

イグレシア・ニ・クリストという宗教団体があります。
キリスト教の一派で、いわゆる新興宗教です。
プロテスタントの一派といえると思いますが、キリストは神の言葉を伝える単なるメッセンジャーだという考え方です。
ですので、クリスマスも祝いませんし、十字架もマリアも崇拝しません。
お墓にも行かないんじゃないかな?
詳しいことはよくわかりません。

工場に、この宗派の女性と結婚した日本人の品管部長がいました。
品管というのは品質管理のことです。
お客さんが日本の会社でしたので、品質管理に日本人をおくのが要求されていました。
イグレシア部長と呼ぶことにします。

イグレシア部長は、もともとは大きな会社の購買担当でした。
この会社がお客さんのお客さんだったようです。
日本で、奥さんと知り合い、恋に落ちました。
このおくさんがイグレシア・ニ・クリストの信者だったのです。
この宗教は、信者以外との結婚を認めていません。
イグレシア部長は、まだ日本で勤めているころ、休暇をとってイグレシア・ニ・クリストに入信し、セミナーと洗礼を受けて結婚しました。
日本にも横浜(だったと思います)にこの宗教の教会があって、毎週日曜日に静岡から車で通っていたそうです。
おくさんは熱心な信者でしたが、だんなさんのほうはおくさんと結婚するために入信しただけですので、決して熱心な信者ではありません。

やがて、奥さんがホームシックにかかり毎日泣いてばかりで過ごすようになりました。
これはいけないと考えたイグレシア部長、フィリピンに移住することを決意して、いろいろと働き口を探していました。
そこでお客さんを通じてわが工場に勤めることになったというのがいきさつです。

同じような境遇の日本人の信者がそのころもう一人いました。
彼のほうはイグレシア部長よりも本の少し、まじめに教会に通っていたそうです。

イグレシア・ニ・クリストの教会というのは、どこにいっても同じ形をしています。
玄関の両側に高い塔が突き出た教会を見たことがあるのではないでしょうか?
あれがイグレシアの教会なのです。
工場のあったカランバというところは、イグレシアの強い地域でした。
工場の中にも信者はたくさんいます。
工場では、一般工員で品管部長よりもずっとポジションが低い人でも教会での立場というのは別物です。
『最近、教会に来てませんね。』なんていわれていたようです。

イグレシアの信者は、毎週木曜日と日曜日に教会に行かなければなりません。
教会には、その教会に所属する信者の名簿があって、出席を確認しています。
あまり出席率が悪いと教会の偉い人が家庭訪問をして、『きちんと教会に来ないといけません。』というようなことを言って帰るそうです。
おくさんが同じことを言うので、なかなか困ったものです。
日曜日などは無理やり教会に連れて行かれていたようでした。

さらに、イグレシアの信者は、収入に応じて教会に寄付をしなければなりません。
確か、10%だったと思います。
これはまじめに奥さんが払っていました。

お酒を飲んだり、女遊びをしたりというのもご法度です。
ただ、イグレシア部長はこれが大好きでした。
何とかおくさんの目を盗んで遊びにいこうと腐心していたのでした。
しかたがありませんね。
(≧∇≦)/ ハハハ



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2008年07月25日

残された家族

夕べは遅くまで仕事していました。
お客のところを出たのが8時近かった。

長い打ち合わせでタバコが切れてしまっていたので、ガソリンスタンドのコンビニで買おうと思っていつものカルテックスに車を停めました。
呼ぶ声が聞こえます。
友人が顔を出しました。
私の車を見つけて後を追ってきたそうです。
どうせ、ガソリンスタンドに寄るだろうと・・・・。
読まれていました。

スタバでコーヒーを一杯。
こういうのは、うれしいハプニングですよね。
(-^〇^-) ハハハハ

さて、昔の話に戻りましょう。

いろんなことがわかってきました。
ちょうどそのころ、OX社には組合を作ろうという動きが出てきたそうです。
きまじめ工場長は、労働問題に発展しては大変だということで、全部の従業員を10人くらいのグループに分けて、毎晩のように会食をしていたそうです。
従業員一人ひとりと顔を突き合わせて、一緒に食事をしながら会社に対する不満や要望を聞くということで、労働問題に発展しないように努力していたわけです。
ローカルの従業員は300人くらいいただろうと思います。
口で言うのは簡単なことですが、一緒に話を聞くというのは大変なことです。
腹の立つこともたくさんあっただろうと思います。
そんな最中に倒れてしまったのでした。
『会社に殺された。』事情に詳しい人の中にはそんな感想を漏らしていた人もいます。

ハリガネ先生はこの辺の事情をよく知っていました。
一番近くにいたわけですから。。。

本社は、日本の家族に対してだけ、補償の交渉をしようとしていました。
確かに本社には日本の家族しか正式には届出がされていませんでした。
ただ、フィリピンの家族はずっと一緒に暮らしており、ふたりのかわいい子供たちがいます。
この家族がきちんと生活していけないようでは、会社としての責任を果たしたとはいえません。
こんな風にハリガネ先生は考えたようです。

本社の責任者たちと真っ向からぶつかり合ったわけです。
その甲斐があってか、フィリピンの家族にも一定の保証金が支払われたようです。
きまじめ工場長の奥様は、このお金を元手に文房具や消耗品の卸販売の会社を作りました。
会社の名前は、ふたりの子供の名前をつなぎ合わせたものです。
OX社は、それ以来文房具や消耗品をこの会社を通じて購入しています。
今はどうなのかはちょっとわかりませんが、少なくとも10年以上、こうやって家族のことを支えてくれたのでした。

ハリガネ先生は、ここで少しがんばりすぎたようです。
『明日はわが身・・・』という思いも多少あったのかもしれません。
本社の役員たちを自ら説得したのです。
これが、逆に本社の不興を買うことになってしまいました。
やがて、少しずつ職場いじめのようなことが始まりました。
もちろん、フィリピンの工場の人たちはハリガネ先生のことを良く知っていて慕っていました。
仕事ができて、部下にも優しい・・・そんな評判でした。
これがまた本社の不興に輪を掛けたのです。

ハリガネ先生が会社の代表としておこなっていたいろいろな社会活動は制限されました。
会社の中で、会社のことだけをやっていればいい・・・・確かにそうかもしれませんが、ある程度の規模の会社になったら、業界や日本人社会、ひいてはフィリピンに対する貢献ということも考えなくてはいけません。
ハリガネ先生の視野の広さは、OX社では受け入れられなかったというわけです。

こうして、この事故からしばらくたった後、ハリガネ先生はOX社を終われるように退職したのでした。
いろいろと難しいものですよね。

残された家族と私たちの家族は、前にも増して家族ぐるみの付き合いをするようになりました。
奥様や子供たちが心配だったのです。
仕事は、約束どおりOX社を中心に何とかやっていけたようです。
きまじめ工場長の命日や’死者の日’にお墓におまいりにいったりもしました。
娘さんに私の娘のゴッドマザーになってもらいました。
奥様のいとこが結婚するときに、私が保証人にもなりました。
最近は長いことお会いしていません。
あの女の子も今では立派な女性に成長していることと思います。

時の流れは速いものですね。。。。



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2008年07月23日

お葬式


昨日、初めてのサウナにいきました。
いつもの社長が一緒です。

マッサージが終わった後、社長がめがねをかけたら、変に汚れています。
おかしいと思って、レンズを拭こうとしたら、外れて落ちてしまいました。
よく見ると、フレームのねじが折れてセロテープで停めてあります。
マッサージが始まるまではそんなことはありませんでした。

そういえば、私のマッサージ嬢がマッサージの途中でちょっとの間外に出て行ってしまっていました。
しばらく放っておかれたので、おかしいなと思っていたのですが、その間に修理をしていたようです。
フロントにいて、、めがねを見せて文句を言いました。
どうやら、マッサージ台の脇のいすにタオルとめがねを置いて、気がつかずにそこに座ってしまったようです。
壊れたのは仕方がないのですが、黙ってその場を取り繕うとしたのは許せません。
思いっきり、怒っていました。
どうして、フィリピン人ってこういうのを隠そうとするんでしょうね。
正直に言ってくれればそこまで怒らないのに。。。

後味の悪いマッサージになってしまいました。
たぶん、あそこにはもう二度といきません。

サウナを出て、めがね屋に走りました。
グリーンベルトの古いめがね屋です。
ピンが折れていて、はずせないといわれました。
同じようなフレームを探して交換できないかというと、それも難しいといいます。
遠近両用の境目のないめがねなので、視界にずれが出るといいます。
そんなのは多少構いません。
ほとんど見えないわけですから。。。
店員はまったくやる気がありません。
閉店時間が近いので、早く帰りたくて仕方がないようです。
たぶん、このめがね屋ももう二度と行きません。

それにしても、フィリピン人って何でこうなんでしょうね?
自分の仕事に対する誇りや責任感などまったく感じられません。
悲しくなっちゃいますね。

さて、昨日の続きです。

私たちの知らないところで、会社とふたりの奥様の間でいろいろな話があったようです。
遺体は、フィリピンで火葬することになりました。
遺骨を分骨して、日本とフィリピンに埋めることになっったのです。

フィリピンでは土葬が一般的です。
今でこそ、火葬する家が増えてきていますが、そのころはほとんどありません。
火葬場があるんだろうか?というところからのスタートでした。
いろいろと手を尽くしてあたったところ、スーカットにあるマニラメモリアルパークという墓地の中にあることがわかりました。
ここで荼毘に付します。
この墓地にお墓も購入しました。

日本からの家族もそんなに長くフィリピンに滞在するわけにもいきません。
日本でも葬儀を執り行わなければならないのでした。

そんなわけで、なくなった翌々日、荼毘にふすことになりました。
その日、私は工場を休んでおくさんとふたりで葬儀場に向かいました。
ガダルペのロヨラメモリアルから火葬場のあるマニラメモリアルまでは、車で30分くらいの道のりです。
白バイで先導してもらって、10台以上の車が連なって墓地に向かいます。
先頭は遺体をのせた霊柩車です。
そのあとに、お花を積んだ軽トラックが続きます。
お通夜に持ち込まれたお花は、墓地まで運んでお墓の中に埋めたり、周りを飾ったりするのです。

サウススーパーハイウェーを南に向かいます。
一番左の車線を葬式用の音楽を流しながら、ゆっくり10数台の車がすすんでいきました。
スーカットの料金場を過ぎて、スーカット通りをマニラメモリアルパークに向かいました。
雨がしとしと降ってきました。。。

雨がしとしと降る墓地について、おのおの車を駐車して、火葬場にいきました。
棺が運ばれてきます。
最後のお別れです。
棺が閉じられて、火葬場の窓が開きました。
今まさに火葬場の窓の中に棺が入る瞬間、それまで気丈にも涙を見せなかったきまじめ工場長の長女が、『ダディー』と叫んで、号泣しました。
子供ながらに、病弱な母親と幼い弟の面倒を見なきゃいけないとがんばっていたんでしょう。
最期の最期にそこらじゅうに聞こえるような大きな声で泣きじゃくったのです。

今でも、思い出すたびに涙が出ます。
書いていても涙が出てきました。

こうして、きまじめ工場長とお別れしたのでした。



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2008年07月22日

お通夜


今日は良い天気です。

昨日、忙しくて朝の更新ができませんでした。
前の晩、全英オープンを最後まで見ていたおかげで、家に帰ってからは(帰る前から・・・)眠くて仕方がありませんでした。
そんなわけで、更新もせずに寝てしまいました。

おくさんは、昨日からまたエアロビクスに通い始めました。
いろいろとごたごたがあって、しばらく通うのを辞めていたのですが、ずっと通っていた友達のドクターに『もう、ごたごたはなくなったからまたおいでよ!』と誘われて先週のぞきにいってきたのです。
すぐにみんなが歓迎してくれて、一日エアロビクス。
体がなまっていてすぐに疲れてしまったそうです。
これじゃいかんというわけで、昨日から再開です。
今は、月水金の週に3回。
汗びっしょりになって帰ってきました。
『お父さんも一緒に行こうよ!みんながだんなさんもつれてこいって言ってるよ。。。』
いやです!!!
そんなおばさん女性ばかりのところに一人で行く勇気は到底ありません。
こわいもん。。。。

そんなわけで、一昨日の続きです。

工場に出勤していた私にハリガネ先生から電話がありました。
『たった今、息を引き取りました。』
『そうですか・・・・』
もう、回復の見込みがないことは十分にわかっていました。
『お通夜は、ガダルペのロヨラメモリアルというところです。
今から、遺体の処理をするので夕方にはそちらに行くことになるでしょう。』
『わかりました。そっちに行きます。』

工場を定時で退社して、いったん家に帰りました。
おくさんに、きまじめ工場長がなくなったことを告げて、葬式に行くから準備をするようにいいました。
近くの花屋によって小さなお花を買いました。

おくさんと二人で葬儀場へ。。。
まだ遺体はついていませんでした。
葬儀場の部屋は、とても大きなところでした。
一番大きな部屋を選んだようです。
生花がたくさん並んでいました。
現役の工場長のお葬式ですので、取引のあった会社や古い友人たちがたくさんお花を送ってくれたのです。
私が買った小さなお花は、遺体の一番近くに置かれました。
葬儀場には、仕事関係の人たちがたくさん来ていました。
あったことのある人たちも何人かいました。

いったん家に帰って、夜もう一度出直すことにしました。
フィリピンでは、故人と親しい人ほど夜遅く行くのが習慣です。
ろうそくの火を絶やさないように、家族や親しい友人たちが寝ずの番をするのです。

家に帰って食事をして、今度はドーナッツとジュースを買って葬儀場に向かいました。
食べるものはいつでも必要なのです。
通夜に参列してくれた人たちに振舞わなければなりません。
たくさんあっても邪魔になるということはないのです。

10時を回っていたと思います。
さすがに今度はそれほど人もいません。
葬儀場の真ん中に立派な棺が置いてあります。
その下には私の贈った花がありました。
奥さんはすでに泣いています。
泣き虫ですぐ泣いちゃうのです。

遺体に面会したときに、不覚にも涙がほほを伝いました。
背広を着せられた遺体は、すごく安らかな顔で、今にも起きてきそうな感じでした。

何も知らない下の男の子が葬儀場を走り回っていました。
上の女の子が涙も見せずに、一生懸命、小さな弟の面倒を見ていたのが、すごく印象に残っています。
日本の家族は、もういませんでした。
ホテルに帰ってしまっていたようです。。。



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2008年07月20日

きまじめ工場長が倒れた 〜その2〜


地震はなかったようです。
こういう予言は当たらないほうがうれしいですよね。

さて、昔の話しに行きましょう。

マカティメディカルセンターのICU(集中治療室)は、新館の丸い建物の中にあります。
治療室の周りにガラスで仕切った部屋があって、関係者はそこまでしか入れません。

倒れた次の日、会社が終わるとすぐに病院にいきました。
関係者が入れるところには、OX社の人たちが交代でつめていました。
容態が急変したら会社に連絡をするということで、日本人の社員が一人と現地人の社員が一人24時間体制でつめていました。
会社が終わってからは、ハリガネ先生やうわばみ製造部長も様子を見に来るという状態です。

きまじめ工場長の容態はすでにどうにもならないところまで来ていました。
脳内出血の範囲が大きすぎて回復する見込みはありません。
生命維持装置で生かされているという形です。

きまじめ工場長には、日本に家族がありました。
『きまじめ工場長が倒れて、意識不明の重態』という知らせに日本から奥様と子供たちが急遽やってくることになりました。
本社の人たちも同行してきます。
会社には、日本の家族を正式な家族として届け出ていました。
日本の家族に知らせないというわけにはいきません。

当然ですが、フィリピンの家族と遭遇することになります。
ややこしいことにフィリピンでも正式に届出をしてあって、フィリピンの国内法的には婚姻が認められていたのです。
このころのフィリピンの家族法では、国外での婚姻関係を証明する必要がありませんでしたので、こういうことが可能だったのです。
今でも似たようなものですが。。。
ちょっと話がそれました。

OX社の関係者の方々は、二人があったらどうなってしまうのだろうという心配をしました。
修羅場が展開されることが予想されます。
できればこういう場面には立ち会いたくありませんよね。

ドクターの話では、回復する見込みはまったくありません。
家族が到着するのを待って、ふたりの奥様で話し合いをしてもらって生命維持装置をはずすことを決めてもらうしかありません。
どうしても二人で話し合っていただかないわけにはいきませんでした。

ふたりの奥様の話し合いは、ストレスと高血圧でマカティメディカルセンターに病室を取って入院してしまったフィリピンの奥様の病室に日本の奥様が訪問するという形で実現しました。
もちろん、前もってフィリピンの奥様には了解を取っています。
『会いたくない。』といわれたらどうしよう・・・とOX社の人たちはびくびくしていましたが、予想に反してフィリピンの奥様は日本の奥様に会うことを承諾してくれました。

フィリピンの奥様は、きまじめ工場長が日本に家族があるということを知っていました。
前の会社できまじめ工場長の秘書をしていた人です。
きまじめ工場長の家族調書など必要な書類は見ていました。
会社がうまくいかなかったときに、新しい事業を起こしたときなど、一緒に苦労された方です。
イセエビを観光客用にパックして売ろうと思ったが、うまくいかなかったという話を笑いながらしてくれたことがありました。
きまじめ工場長は、フィリピンの奥様に『日本のおくさんとの間にもう愛情はない。子供が大きくなったらきちんと別れる。』という話をしていたそうです。
たぶん、心からの言葉だったと思います。
フィリピンのおくさんと子供に無条件の愛情を注いでいたのは、私の目にも十分に映っていました。

日本の奥様は、きまじめ工場長がフィリピンにおくさんと子供がいたことを知っていたのでしょうか?
私にはわかりません。
ただ、普通だったらそれなりに気がつく状況だったのは間違いないと思います。

予想に反して、二人の話し合いは穏やかにおこなわれたようです。
どんなことが話されたのかは、私の知る立場ではありませんが、日本のおくさんがフィリピンのおくさんに肩を貸して、ガラス越しにきまじめ工場長の容態を心配そうに見守る姿を見ました。
たぶん、きまじめ工場長の人格がそうさせたんだと思います。

やがて、生命維持装置をはずすことになりました。
こうして、多くの人に見守られてきまじめ工場長は息を引き取ったのでした。



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2008年07月18日

きまじめ工場長が倒れた 〜その1〜

予言者ジョセリーノの公式ホームページというサイトを見つけました。

これによると、今日7月18日にフィリピンでマグニチュード8.1の地震が起きて数千人の死者が出るということになっています。
まだ、今日は終わっていませんけど、今のところ地震があったというニュースは聞いていません。
このまま何もなく1日が終わってくれれば良いのですが。。。

この予言、フィリピンでも結構話題になっていました。
娘の学校でも話題になっていたようで、学校の先生が教えてくれたそうです。
娘にしてみると私が知っていたことの方が意外だったようで、『パパもこういうの信じるの?』とか聞かれました。
特に信じているわけでもないのですが、話としては面白いのでどこかにノートしておくというところでしょうか?!
9・11を予言した人だということになっているそうです。
・・・これは娘の話です。

何事にもセンセーショナルなフィリピン人のことですから、大騒ぎする気持ちもわからないでもありません。
特に、先週2〜3回、マカティでも体にかんじる地震がありましたので、なおさらです。
私もこの地震で思い出したくらいですから。。。

このまま何もなく一日が過ぎることを願いつつ、昔の話しに行きましょう。

新しい工場に勤めた年の12月のことでした。
OX社に勤めていたハリガネ先生から緊急の電話が入りました。

きまじめ工場長が倒れたというものでした。
マカティメディカルセンターのICUにはいっているといいます。

すぐに副社長に事情を話し、マカティメディカルセンターまで飛んでいきました。
脳溢血です。

その日の朝、きまじめ工場長とうわばみ製造部長、ハリガネ先生の3人でいつものように打ち合わせをしていたそうです。
きまじめ工場長が突然大きなあくびをしました。
それからしばらくして急に気分が悪くなり、ソファーに横になってしまいました。

異変に気がついたのはうわばみ製造部長です。
『これはよくありません。おじさんが倒れたときと同じだ。』といいました。
脳に酸素がいかなくなってしまい、酸欠状態になります。
これを何とかしようとして大あくびをするのだそうです。

すぐに近くの病院に運びました。
田舎の病院のことです。
ここではどうにもならないというわけで、その病院で救急車を手配してマカティメディカルに運んだのでした。
私が駆けつけたときには、すでにもう意識がなく、ICUでいろんな機械につながれていました。
ハリガネ先生やうわばみ製造部長もいました。
すでに脳の中の出血の範囲が大きく、回復の見込みはありません。

いったん、家に帰り、おくさんと一緒にもう一度病院に来ることにしました。
きまじめ工場長の奥さんが駆けつけてくることになっていましたが、知り合いがあまりいません。
私のおくさんが、きまじめ工場長のおくさんと仲良くしていただいていましたので、話し相手にでもなれればいいと思ってつれてくることにしたのです。
子供たちの面倒を見る人もいません。
本人の様子もさることながら、家族のことも心配になっていました。
家族ぐるみのお付き合いをしていたのは、私たち家族ぐらいしかいなかったのです。

いったん、家に帰りおくさんに事情を話しました。
すぐに出かける支度をして病院に駆けつけます。
夜になっていて、付き添っている人たちの食事も考えてあげなければなりません。
いったん、マカティにある知り合いの日本料理屋に電話をして、おにぎりと簡単なおかずを作っておいてもらうことにしました。
この日本料理屋は、ちょうど私の家から病院にいく途中にありましたので、ここでおにぎりを受け取って病院に向かったのです。
おくさんも一緒でした。

病院に着くと、なんだかざわざわしています。
ハリガネ先生に何が起きたのかと尋ねました。
返ってきた答えは、もともとあまりからだの強くないおくさんが、急に気分が悪くなって、病室を取って入院したというものでした。
どうやら急激に血圧が上がってしまったようです。
いやな予想が的中してしまいました。

おくさんに、きまじめ工場長のおくさんの病室をお見舞いするように頼んで、私はハリガネ先生やほかの社員の人たちに食事を振舞いました。
ハンバーガーとかパンなどはつまんでいたようですが、やっぱりこんなときでもおなかはすきます。
これからどんな事態になるかわかりませんので、食べられるときに食べておくというのは大事なことです。
ハリガネ先生に『さすが・・・』といわれて感謝されました。

長くなりそうです。続きますね。。。



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2008年07月17日

工場にお化けが出るんです。。。


今日から全英オープンが始まりますね。

ちょっとだけテレビで観戦していたのですが、すごいコースですね。
エルスとかミケルソンとか、7オーバーとか8オーバーとか、とっても難しそうな感じです。
個人的には、今田竜二にがんばってほしいと思っています。
ガルシアと同じ組のスタートらしいですね。
そろそろスタートしているころかも。。。

さて昔の話です。

工場には、いくつかの工程がありました。
まずは成型です。
射出成型機という機械に金型を乗せて、プラスチックの樹脂を充填します。
後はさめるのを待って出来上がりです。

この射出の速度や圧力などで、製品のでき不出来が出てきます。
もちろん、最初に標準の条件を決めるわけですが、それでも外れてしまうことがあります。
なかなか難しいものなんですね。

これが成型の工程です。

このほかに、仕上げや塗装、組み付け、検査などの工程がありました。
この仕上げの工程は、工場の南東の角にありました。
ほかの部署は交代勤務で24時間稼動していたのですが、ここだけはどうしても夜勤をやりません。
どうやらお化けが出るんだそうです。

ホワイトレディーという、全身を真っ白なドレスで包んだお化けです。
フィリピンでは定番のお化けですね。
うちのおくさんもどこかで見たなんていっています。
我が家にもいるってこの前占い師みたいなやつが言っていました。
それはともかく、工場のその場所には出るんだそうです。

仕上げの工程は、製品によっては出荷の前に必ずとおらなければならない工程です。
ここの生産能力が、ほかの部署の半分しかないわけですから当然、ここで手待ちが発生します。
ここに処理待ちの仕掛品がいつもたまっているような状態になってしまっていました。
かといって、昼間の人数を倍にするわけにはいきません。
今度はスペースが足らなくなってしまうわけです。

『神父さんを呼んで、お払いしてもらったらどうなの?』
『お払いねぇ・・・』
実は、お払いも何度もやりましたし、従業員とも何度もお話をしたそうです。
それでも誰一人として、夜勤を受けてくれなかったのです。

フィリピンの人って、こういう話すぐに信じますよね。
時々、突拍子もないことを言い出すので、危なくて仕方がありません。
まぁ、害のない話のときには、かわいいからいいのかもしれませんが。。。

結局、この工場に私が勤めていた間(5年ちょっとです)、この部署での夜勤はただの1回もありませんでした。
たぶん、今でもそうでしょう。
やれやれ・・・。



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2008年07月16日

副社長は情報通。

一日雨が降っていました。
どうやら台風が来ているようです。

昼過ぎに二女から電話がありました。
熱が上がって、保健室にいったそうです。
学校のドクターが帰宅しなさいといったので、迎えに来てほしいという電話でした。
37度8分の熱だったそうです。
いつもよりふにゃふにゃしていますが、思ったよりも元気そうです。
安心しました。

さて、昔の話をしましょうか。。。

専務の話をしましょう。
この専務、創業社長の奥様の弟にあたる人です。
まだ、町工場で機械が一台しかなかったころから、社長と二人で一生懸命製造を担当してきた職人さんです。
技術的にもすばらしいものをもっていて、日本人の現場の人たちみんなから慕われていました。
現地の人たちも然りです。

専務は、現地の肩書きは副社長でした。
月のうち2週間くらいやってきます。
後の半分は、本社で勤務というわけです。
昔からの職人さんですので、タガログ語はもちろん、英語もまったく話せません。
工場に来ると、会議室に入ります。
そのころ、会議室だけはタバコが吸えました。

会議室のテーブルに座って、お茶を頼みます。
おもむろにタバコをふかして新聞を読み始めるのです。
歯軋りの癖がありますので、『ギュギュッ』と音をさせながら、新聞をくまなく読んでいます。
私を含めた日本人がタバコを吸いに会議室に入ると、井戸端会議のスタートです。
夕べ、どこの店に行ったとか、どこのカラオケのおねーさんが良かったとか、女の話が8割くらいでしょうか?
後の2割が仕事の話です。

時々姿が見えなくなります。
新聞を読むのに飽きると散歩です。
通訳を一人つれて工場の中をくまなく歩いて回ります。
現場の現地人の従業員に声をかけて、歩いていました。
『タタン』(お父さんって言う意味)とみんなから慕われていたのです。

この副社長、現地人の人間関係を実に細かく把握していました。
誰と誰が最近付き合い始めたとか、あの子は最近妊娠したようでO月X日には出産の予定だとか、あの二人は結局うまくいかなくて別れてしまったなどという話をよく知っているのでした。
散歩と称して、工場の中を歩き回り、みんなに声をかけていってこういう情報を聞き出していく。
これこそが、工場の従業員とうまくやっていく秘訣なのです。
従業員は、みんなこの副社長が大好きでした。



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2008年07月15日

工場勤務のはじまり 〜その2〜

今日はゴルフに行ってきました。

月曜日から始まるといっていた新しいルール。

フロントで『どうすればいいんだ?』と聞いたら、『好きなようにすればいいんじゃない?!』って、かなり投げやりな答えが返ってきました。

『どうせいう通りにしないんでしょう?』この人たち、わたしのことを勘違いしています。
結構、素直にいうことを聞くのです。
・・・文句は言いますけど。

スターターのところへいくと、キャディマスターが『ここでキャディフィーを払ってください。』といいます。
キャディは自分で指名できません。

わたしくらいになると、たいてい誰でもいいのですが、『こいつだけは絶対ダメ。』というキャディが2〜3人います。
波長があわないのです。
新ルール早々、波長の合わない”こいつだけは勘弁してくれキャディ”にあたってしまいました。

新しいルールはどこかおかしいですよね。
せめて『拒否権』だけは与えてほしい。。。
今度の月例会のときにお願いしてみます。
キャディとは、ラウンド中約4〜5時間一緒にいるわけです。
絶対いやというキャディが一緒だとそれだけでゴルフがつまらなくなってしまいます、
というより、ほとんど苦痛です。

ショットのたびに、『早い!』だの『あ〜ぁ』だの『押してる』とか『引っ掛けてる』とか声をかけます。
そんなの言われなくても本人が一番よくわかっています。
こういうキャディに当たると頭にくるのです。

まぁそんなこんなで、天気もあまりよくありませんでしたし、スコア的にはひどいラウンドでした。
スイング改造に気をとられて、結果ばらばらな状態です。
元通り以上に組み立てなおすことができるんでしょうか?
疑問は深まるばかりです。。。


さて、昔の話しといきましょう。


これまで『わが社』という書き方をしていましたのは、この前転職の記事を書く前までに働いていた会社のことです。
ここから、『わが社』というのは転職したあとのプラスチックの成型会社になるのですが、どちらも『わが社』では混乱しそうですよね。
ですので、これからは、『工場』という呼び方をすることにします。
了解してくださいね。


工場には、日本人のほかに4人のローカルマネージャがいました。


製造マネージャー・・・遅刻の常習犯。
人事マネージャー・・・ちょっと年増の独身女性。あふぉです。
経理マネージャー・・・わたしの部下になりました。人は良いのですが、お調子者。


この3人のほかに、社長秘書がマネージャー待遇でした。
マネージャーというのは、日本の会社でいえば部長さんですので、かなり偉い人たちです。
まだ、会社も若いころですので、そんなに経験のある人たちがいるはずもありません。
そんな中で、実務経験のある人間を採用していくわけですので、実際に会社を経営していくとなると、なかなか難しいものがあります。
この辺の悩みは今も変わらないでしょうね。
むしろ、ひどくなっているかもしれません。


この4人の中で、一番社歴が長かったのは経理マネージャーでした。
その次が社長秘書。
一番威張っていたのは社長秘書でした。
性格もあったのだと思います。
わたしの嫌いなタイプでした。

2代目ボンボンばか社長は、自分の意見や指示をすべて社長秘書を通じておこなうという自分をえらく見せるためのおろかな行為をしていました。
まさにばか社長のばか社長たるゆえんですよね。
しかも、秘密主義が徹底しています。

日本から2ヶ月に一度くらいの割合で、フィリピンの工場に来ていたのですが、日程を誰も知りません。
社長秘書に『今度社長はいつくるんだ?』と聞いても、絶対教えてはくれませんでした。
中小企業のやることじゃありませんよね。。。
見栄っ張りというかなんというか。。。

 
 
 

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2008年07月14日

工場勤務のはじまり

もっと早い時間に更新するつもりでした。
今日は、朝から雨。
特にアポもなかったので、ブログを書いて過ごすつもりでした。

ちょうど昼ころだったでしょうか?
雨脚が強くなってきました。
そろそろお昼ご飯でも食べようかな・・・と思ったときです。
突然、インターネットがつながらなくなってしまいました。
サーバーの具合が悪くなってしまったのです。
雨のせいでしょうか?

しばらくまってみましたが、なかなか回復しません。
ごろごろしているうちに子供たちが学校から帰ってきて、夕食を作ったりテレビを見たりしていると友人がやってきました。
結局、更新がこんな時間になってしまったというわけです。

明日は、久しぶりの平日ゴルフ。
雨に降られなければいいんですけどね・・・。

さぁ、昔の話をしましょう。

建設会社での長い休暇が終わって、いよいよ新しい会社への出社日がやってきました。
勤務地はカランバの工場です。
マガリアネスの新しい家からはちょうど40分くらいです。
高速道路にすぐに乗れるところなので、時間はだいたい読めるのです。

工場には日本人が4人いました。
工場長・・・なかなかおとなしいけどまじめなむっつりスケベタイプの人でした。
品管のマネージャー・・・かなり変な人でした。
金型のマネージャー・・・女にだらしない人でした。
通訳・・・仕事のできないやつでした。
さらに、日本の専務が月のうち1〜2週間、工場に来ていました。

初めての出勤の日、会社にいくと専務が待っていてくれました。
専務は、工場を建設するころから担当役員としてきていましたので、わたしとも面識がありました。
このころ、すでに2代目ボンボンばか社長がばか振りを発揮しつつあって、社長と専務の間には溝ができていました。
この専務は先代の社長のおくさんの弟に当たる人で、先代社長と一緒に創業当時からがんばってきた人です。
2代目ボンボンばか社長のおじさんに当たるわけです。

先代の社長がなくなった後、若い二代目社長を盛り上げていこうと何とか努力をしていましたが、ばか社長はまったく聞く耳を持っていなかったようです。
専務にも工場長にもなんの相談もせずに、わたしの採用を決めてしまったようでした。
これにはわたしも参りました。
受け入れ態勢が十分じゃなかったのです。
『このやろうめ・・・』と思っていた人もいたかもしれません。

それでも、専務はわたしの入社を心から喜んでくれました。
『この人みたいに、フィリピンに腰をすえてがんばろうって言う人が来てくれないと困る。』
『ありがたいことだ。』
といって、何かと面倒を見てくれました。

なかなか立派な専務だったのです。




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2008年07月13日

引越し

このところ、ゴルフのスコアが低迷しています。
いつも一緒のゴルフ友達が、“魚の目”を手術したため、まだ復帰できません。
練習場で、プチスイング改造に取り組んでいるのですが、なかなかうまくいきません。
練習場だとちゃんと打てるのですが、コースに出るときちんと打てなくなってしまいます。
昨日のゴルフでは、アイアンが左に左に引っかかってしまいました。

・・・どうしても引っかかる。人がいいもんで。。。

などと冗談を言っていましたが、悩みは深刻です。
たぶんフィニッシュで引っ張ってしまっているんだと思います。
これから、子供たちをつれて練習場にいこうと思っています。
たぶん、いろんなことを気にしすぎてしまっているんでしょうね。
早く直って、スイングを見てほしいものです。

さあ、気を取り直して昔の話をしましょう。

建設会社に辞表を出して、長期休暇にはいったところまでお話しました。
休暇中は、特にすることもありません。
かといって、どこかにいくというわけでもなく、生まれたばかりの二女の面倒を見ていました。
二女が生まれたのが5月9日、辞表を出したのが6月です。

7月末日付けの退社でしたので、それまでの間に新しく家を見つけて引っ越さなければなりません。
家は、今も住んでいるマガリアネスビレッジにしてほしいと会社には伝えてありました。

ある日、社長秘書から電話がかかってきました。
2代目ボンボンばか社長、社長秘書というのを雇っていました。
工場は、ラグナにあるのですが、マカティにも事務所がおいてあって、ここに社長秘書がいたのです。
そのころ、マカティとラグナでは、ぜんぜん違っていました。
今でこそ、いろんな商店やモールなどが近くにあって、普通に何でも手に入るようになっていますが、その当時はマカティまで出てこないと何も買えません。
銀行などもほとんどなく、サービスも田舎は貧弱な限りでした。
そんなわけで、マカティに連絡事務所を置いておくのがそのころの会社では一般的だったのです。

『家の候補地がリストアップできたので見に行きませんか?』という電話でした。
日時を指定して、不動産屋についてもらって家を見ました。
おくさんも一緒です。
何軒か見て回って、中に入っていろいろ調べました。
マガリアネスのほかにもサンロレンゾやベルエアなんかも見て回ったと思います。
3日くらい見たでしょうか?
ようやく気に入ったところが見つかりました。

広い敷地の平屋建てです。
子供が小さかったので、平屋のほうがいいと思いました。
部屋はベッドルームが3つ。
玄関を入ったところにものすごく広いリビングルームがありました。
バレーボールコートくらいはありそうです。
庭もついていました。

何よりも気に入ったのは、マスターベッドルームが大きくて、広いバスルームがついていたことです。
このバスルームに浴槽をつけてほしいと頼んだのです。
オーナーはどうしても貸したかったようで、工事してくれました。
このころは不動産不況で、借手市場でした。
少々のわがままは聞いてくれたのです。

この家に決めて、工事が終わるのをまっていました。
最初の話では2週間後には入居できるということでしたが、2週間たっても何の連絡もありません。
見にいくと、もう少しかかりそうでした。
結局、入居できたのは7月も後半のほうになっていました。
引越しは、会社のトラックを使って・・・ここまでは、建設会社のほうで負担してくれたのでした。

こうして新しい住まいもできて、新しい生活が始まろうとしていました。



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2008年07月12日

TATのキャディの話

TATのゴルフ場に行ってきました。
新しく弁護士が社長になったそうです。
先週の月例会で、メンバーの人からいろいろと質問が出ていました。
『新しい社長ってどういう人なんですか?』そんな質問。
支配人の回答は、いまひとつ要領を得ません。
『これから、地主と交渉をするのに、弁護士がいたほうがいいという配慮かどうか・・・とにかくオーナーのお気に入りです。』
どういう意味なんでしょう?

今日のゴルフで、メンバーとゲストの皆さんへ・・・と題するレターがカウンターにおいてありました。
新しい社長のサインがしてあります。
どうやら、ただのお飾り社長では、本人が納得しなかったようですね。
わけのわからないことが書いてあります。
まず、キャディのリクエストはできなくなります。
これまでは、気に入ったキャディがいるとバッグを下ろすところで、名前や番号をいうとその子がバッグを担いでくれというシステムでした。
さらに、キャディフィーは、スターターのアシスタントにラウンド前に支払うといいます。
チップは直接キャディに渡してもいいということです。
たぶん、キャディフィーを払わないで帰っちゃう人がいるんでしょうね。

それにしても、なんだか・・・・
メンバーの人も怒っていたようですが、フロントの長くいる叔母さんも困っていました。
『新しい社長が決めたことだから・・・』と困り顔です。

カウンターにおいてあったレターのあて先の『すべてのメンバー及びゲストの皆さんに』というのにちょっとだけ付け加えておきました。
すべての・・・とメンバーの間に、OO人のと付け加えて丸で囲んでおきました。
『ようするにこういうことなんだろう?』というとフロントのおばさんが笑っていました。
わたしがいたずらしたレターがそのままカウンターにおいてあったような気がします。
まぁ、いいですけど・・・。

もともとこのゴルフ場がオープンしたときには、キャディはゴルフ場の社員でした。
キャディフィーも金額を書いたカードをキャディに渡して、フロントで最後にキャディフィーを払うようなシステムでした。
ところが、社員ですと最低賃金を払わなければなりませんし、税金や社会保険料の問題もあります。
そんなわけで、キャディは社員ではなくなったのです。
そのころから、キャディフィーはキャディに直接渡すようになりました。
プレーヤーとキャディの直接契約関係になったわけです。

そんなわけですから、キャディを選ぶということもありなわけです。
クラブはここには口を出さないというのがそのころからの姿勢になったというわけです。
今回、ここには手をつけずに指名だけを禁止するということになりました。
さらにクラブが集金するということです。
法的には問題があるような気がしますけど、どうなんでしょう?
弁護士さんの決めたことだから、法的に何も問題がないということはありません。

いつまでこんな馬鹿なことをするつもりなんでしょうね?
ちなみに新しいシステムは、14日の月曜日からのスタートだそうです。

困ったもんですね。。。



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2008年07月11日

2代目ボンボンばか社長と東京で・・・

犬の世話をしているメイドのだんなが田舎に帰っています。
明日、帰ってくるはずなのですが、その間誰も散歩に連れて行ってあげていない様子でした。
犬もストレスがたまっているようで、わたしが出かけるときに飛びついてくるようになっていました。

たまには、散歩に連れて行ってあげないとかわいそうだ・・・というわけで、さっき行ってきました。
ラブラドールの成犬です。
力がとっても強いのです。
久しぶりの散歩に興奮して、どんどん走り出そうとします。
先に行こうとするたびに鎖を引いて止めます。
特に、猫を見かけると興奮の度合いが増して、追いかけようとします。
うちのビレッジは、結構猫が多いんですね。
普段はあまり気にも留めなかったのですが・・・。
そのたびに「ぐぃっ!」っと。
腕が痛くなってしまいました。
それでも30分くらい歩いたでしょうか?
おくさんがタオルをもって出てきてくれました。
あせ、びっしょりになってしまいました。

(;^_^AA チカレマシタ

さて、昔の話をしましょう。

転職のころ、海外事業の営業課長が『俺も挨拶をしてやる。』といって2代目ボンボンばか社長と会食の手配を整えました。
場所は、ばか社長の設定です。
わたしが日本に行ったときにあわせて、静岡から出てきてくれました。

銀座の何とかというすき焼きやさんで、見るからに高そうなところでした。
松坂牛の最高級のものですき焼きもとてもおいしかったのですが、値段の高いのにはびっくりしました。
支払いは、ばか社長が『これからお世話になるのですから・・・』といって、もってくれました。
15年前で、一人5万円を越えていたと思います。
とにかく贅沢な人でした。
それから、『帰る』というばか社長をタクシーでホテルまで送りました。
なんと帝国ホテルです。

あとから聞いた話ですが、帝国ホテルのスイートルームが定宿でした。
マニラに出張で来るときも成田からの飛行機が朝早いからという理由で、必ず前の日に一泊。
時々は2〜3泊していたようです。
帰りも同じです。
その日のうちに静岡まで帰れないという理由(ホントは帰れます)で、必ず一泊します。
全部帝国ホテルのスイートルームでした。

しかも全部出張旅費で処理していたのです。
転職してからしばらくたって、領収証が回ってきて目を疑った覚えがあります。
なんのことはない、2代目ボンボンばか社長の無駄遣いが会社をおかしくしていたのでした。

このときはそんなことは思いもよらず、ばか社長のためにがんばろうと思っていたのです。
この気持ちは、転職して1ヶ月もたたないうちに変わってしまうのですが・・・。
わたしもかわいいものですね。



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2008年07月10日

退職あいさつ 〜その3〜

唐突ですが、イチローがホームラン競走に出るそうですね。
なんか楽しみ。。。

たぶんいい線まで行くんだろうと思います。
それで、後半戦調子崩したりして・・・。
もうマリナーズは今シーズン終わってますから、関係ないかもですね。

さて、昨日の続きといきましょうか。

社長の温かい励ましの言葉をいただいて、社長室を出たわたしは、その足で海外事業部に戻りました。
営業課長がまっていて、そのままOX社に行こうということになりました。

OX社の本社は京都にあります。
新幹線に乗って、京都までいきました。
夕方、本社までいってぜつりん総務部長にごあいさつ。

わたし 『今月一杯で退社することになりました。』
ぜつりん部長 『辞めてどうするの?』
わたし 『かねてからお誘いいただいていたプラスチックの成型会社に行きます。』
ぜつりん部長 『決める前にいってくれれば。。。わが社のフィリピン工場の将来の工場長ということで働いてほしかったのに。。。いまさら、もうダメだよね?』
わたし 『すみません。もう決めてしまったので。』
ぜつりん部長 『残念だな・・・・。いろいろお世話になってありがとうございました。』

それからひとしきり、思い出話をしました。
その間にも『うちに来てくれればなぁ・・・』と何度もいわれました。
自分で思う以上に、私のことを買っていてくれたんですね。

転職というのは心細いものです。
ぜつりん総務部長の何気ない励ましがとてもうれしかったのでした。

さて、食事に行こうということになって、鴨川の川床に連れて行っていただきました。
初めての経験でした。
そこで、ちょっとしたハプニングが起きました。
料理を頼んで、しばらくしたら、なんと停電になってしまったのです。

3人ともフィリピンの停電を知っています。
ちょうど、OX社が工場を作って、ぜつりん部長が頻繁にフィリピンに訪れていたころが停電の一番ひどいときでした。
京都の停電もなかなか回復しません。
『日本でもこういうことあるんですね。』
というと
『これじゃあ、フィリピンと変わらないね。。。』
そういって笑ったことを覚えています。
珍しいですよね。

そのあと、祇園のクラブに連れていかれたような記憶があります。
少しだけ飲んで、そのまま京都を後にしました。
(たぶん。。。よく覚えていません。)



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2008年07月09日

退職あいさつ 〜その2〜

夕べ、久しぶりに外食しました。

場所は“和”です。
なごみと読みます。

オルティガスのSMメガモールの裏手にあります。
マカティからですとパッシグ川を越えていかなければなりません。
この『川を越える』という行為が心理的な距離感を増大させます。
ものすごく遠くに行くような気がして、足が遠のいてしまうのです。
道もすごく混んでいます。

いつもお世話になっている社長さんと一緒でした。
『たまにはご飯でも食べますか?』
というわけで、ここに連れて行ったのです。
社長も大満足していただけました。
よかった。。。

四方山話に花が咲いて、店を出たのがすでに10時半。
遅くまで、すみませんでした。
店長のポリシーで、お客が帰るまで店は開けておきます。
開いている時間に来たお客さんは、それがかなり遅くとも絶対追い返しません。
おなかがすいて来てくれたお客には、必ず食べていただく。
そんな姿勢が徹底しています。
このお店で気持ちよく食事ができる理由です。
オーナーも特別な用事がない限り、必ず店にいます。
安心できますよね。
ぜひ、皆さんもいってみてください。
料理もすごくおいしいですよ。
これを先に言わなきゃいけませんね・・・・。
ちょっと反省(^▽^笑)

さて、そんなわけで昔の話し、昨日の続きと行きましょう。

久しぶりに本社に顔を出したわたしは、まず所属する海外事業部にいきました。
海外事業部では、部長がまっていてくれました。
まずは部長にごあいさつ。
そのあと、直属の上司だった課長にあいさつしました。
一通り、あいさつが終わったあとで、今度は人事に向かいます。
途中で、知り合いとすれ違います。
『なんだ、帰って来てたのか?』
わたしがフィリピンに赴任していることは知っていましたが、辞めることまでは知らなかったようです。
『今度退職することになりました。いろいろお世話になりました。』
そんな会話を幾度となく繰り返すことに。。。

人事でいろいろな手続きをしました。
細かいことは良く覚えていません。
『社長がいるけど、あいさつしていくかい?』
と聞かれました。
このときの社長は、銀行から来た人でわたしが入社したときに経理部のトップを勤めていた人です。
入社して一番最初にお話をした部長が、そのときは社長になっていたというわけです。
社長になる前に、マニラの事務所にも来たことがありました。

余談ですが、経理部に配属されたその日に、部長席で部長と話をしていたわたしを見て、先輩の女子社員が『どこかの支店長が来て部長と話しをしている。』と勘違いしたそうです。
そのころから老けて見られていました。

さて、その社長との面会というわけです。
『お前、知っているんだろう?』と人事の人が言います。
『はい、入社したときの直属のトップで、一番最初にお話をしたえらい人です。』
というと、
『それなら、ぜひあいさつしていけ!』
といって、社長に面会のアポを取ってくれました。

人事の人と二人で社長室へ。
秘書室で少しあいさつをして、社長室に招き入れられました。
人事の人が、『今度退職することになりました。』といってわたしを紹介してくれました。
社長はわたしのことを覚えていてくれました。
しばらくお話した後で、
『君は、独立したほうがいい。そのかわり、40歳になる前に独立しなさい。40歳を越えると新しいことに取り組む体力がなくなるので、大変だから。』
と、はなむけの言葉を掛けてくれたのです。

そのころ、特に意識はしていなかったのですが、社長が私みたいな平社員を覚えていてくれたことと、独立しなさいという言葉を掛けてくれたことがすごく印象に残ったあいさつでした。
結局、わたしは社長の言葉通り、38歳で独立することになったのでした。

このとき、まだ33歳でした。。。




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2008年07月08日

退職あいさつ 〜その1〜

少し疲れ気味です。

連続ゴルフと寝不足のせいですね。
今日も昔の友人と会食の約束があります。
午後からサボってマッサージにでもいってしっかり寝たい気分ですね。
そううまくことが運ぶでしょうか?

さて、昔の話です。

『一度、日本に帰って来い!』
日本の上司から連絡がありました。
もちろん、いったん帰るつもりでした。
『日本で採用になって、社命でフィリピンに勤務していたのですから退職の際の帰国費用は会社持ちですよね?』
『もちろんだよ。』
そんな会話がありました。

そのころの会社は、赴任と帰任のときのフライトはビジネスクラスという内規がありました。
『当然、ビジネスクラスですよね?』
『わかった。わかった。とにかく一度、帰ってこい。』
結局、10年ちょっと勤めたことになりますので、それなりの退職金が出ます。
といってもすずめの涙でしたけど。
それ以外にも年金や健康保険の手続きなど、一度本社に顔を出す必要があったのです。

さらに営業課長からも連絡がありました。
『お前、OX社のぜつりん総務部長にあいさつしておいたほうがよくないか?』
『そうですね。連絡とってみます。』
『俺も一緒にいってやるからな。』
OX社には、まだまだ工事案件が眠っていました。
何らかの機会を捉えて顔を出しておきたかったのだと思います。
『わかりました。よろしくお願いします。』

そんなわけで、7月のちょうど今ころでしょうか?
日本に帰国することになりました。
フライトはビジネスクラスです。
今、考えると会社もよくしてくれたものでした。

続きます。



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2008年07月07日

辞表・・・円満退社

昨日のゴルフで、いろんなことを試しているうちにスイングがわからなくなってしまいました。
自信喪失です。

単純にボールを良く見て、体の正面で捉えるということができなくなっています。
たぶんいじりすぎてスイングがおかしくなってしまったのでしょう。
今までに痛くなったことのない左腕が重く感じます。
ちょっと重症かも・・・。
パターまでおかしくなってきました。
パターもやはりショットのひとつです。
ショットが左に曲がっていたときには、フックラインのほうがラインが出せました。
今は、スライスラインのほうがラインが出るように感じます。
何よりも、”パチン”と打ってしまうことが多くなっています。
距離感がぜんぜん会わず、カップをひどくオーバーすることが続きました。
スムーズにスイングができていないことの証拠ですね。

それまで、調子がよかっただけに自信喪失の度合いが大きいように思います。
この状態を脱するには練習しかありませんよね。
わかっては、いるのですが・・・・。

気を取り直して、昔の話しに行きましょう。

転職の話も基本的には合意ができて、後は入社日を決めるということになりました。
本社採用にしてくれ。
日本でも給料をくれ。
給料は日本でOO円、フィリピンでXXペソ。
家は、このあたりで、家賃はこの程度。
車と運転手は会社もち。
などなど・・・。
言いたいことを言いましたが、ほとんど希望通りに受け入れていただきました。
日本からの出向者の条件と同じもしくはそれ以上で決まったのです。

所長も約束どおり、2代目ボンボンばか社長に会ってくれて、『こいつをよろしくお願いします。』と頭を下げてくれました。
なかなかの所長さんだったと思っています。

わが社の有給休暇は、1年間で20日、2年間据え置きです。
10年働いており、ほとんど休みを取っていませんので、丸々60日、有給が残っていました。
会社に対して、この60日を全部消化するというお願いをしました。
すでに後任者も本社から派遣されており、引継ぎ書も作成がすすんでいました。

後任者が来たのが5月の中旬でした。
まだ若い事務屋でしたが、なかなかの好青年です。
彼に引継ぎをするべく引継ぎ書の作成をおこないました。

引継ぎ書には、業務上の基礎や懸案事項などはもちろん、『こんなときにはこんな店』という感じで、レストランの特徴やどんなものがおいしいかとか、これは頼んじゃいけないなどというところまで書いておきました。
フィリピンで生活するうえで必要なことは盛り込んだつもりです。
さらに、日本では経験することのない輸出入の業務や国際取引の基礎、フィリピンの役所や税務監査に対する対応など、かなり使える引継ぎ書になったと思います。
(↑ 自画自賛。)
退職日は、7月31日に決めました。
引継ぎ書に基づいた業務引継ぎは、5月31日までに完了させて、6月1日から7月31日までの2ヶ月間、有給を消化するという名目で、長期休暇です。
この間に、新しい家を探したり、日本の本社に挨拶にいったりと、けっこうすることはあったのですが、基本的にはノンビルと過ごしたように思います。

今時では、考えられないことかもしれませんね。
10年のうち、約7年を海外で勤務していましたので、会社もその辺りを十分に考慮してくれたものだと思います。
こうして、円満に退社することができたのでした。。。



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posted by マニラのおぢさん at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

転職 〜その2〜

今日はなんだか朝から元気がありません。
熱を測ったのですが、平熱です。
それでも熱っぽい感じがします。

たぶん、昨日うろうろしすぎたのが原因かと思います。
暑いところとエアコンの効いたところをいったりきたり。。。
結構、汗をかいてしまいました。

気力を振り絞って昨日の続きといきましょう。

エドサどおりのMMDAの本局の向かいくらいに『ふるさと』という日本料理屋がありました。
もともとロハスどおりにあった店で、その2号店です。
日本人の板前さんがすしカウンターで握ってくれていました。
いまはもうありません。

場所があまりよくなかったんでしょうね。
それでもその頃はずいぶんはやっていました。

2代目ボンボン馬鹿社長ともよくいきました。
カウンターでおすしを食べるのです。
ばか社長、お酒は飲めません。
私も飲めるほうじゃありませんので、ちょうど良かったのです。

不思議なもので、わたしの周りにはお酒が飲めない人が結構います。
『類は友を呼ぶ。』って言うのは本当ですね。

この板前さん、今では自分の店をオープンして、しっかりやっています。
時々(高いのでめったにいけません)、店にいくと、今でもあのときの二人はすごかったといいます。
あれほどおすしを食べた人たちを見たことがない、といわれます。
会うたびにいわれますので、相当すごかったんでしょうね。。。

なんといってもお酒が入らないので、ひたすら食べまくるわけです。
わたしがいい加減疲れて休んでいると、『もういいんですか?』などといわれてしまいます。
自分は次の注文をしているのです。
なんとも、すごい食欲でした。

『ところで、いつになったらうちに来てくれるんですか?』
唐突に2代目ボンボンばか社長が口火を切りました。

『実は、そろそろ帰って来いという話がありまして、真剣にお世話になろうかと思っています。』

『そうですか。それは良かったですね。』

話はこれでおしまいです。
後はひたすら食べていました。

実にあっけない就職活動ですね。
本当にこれで決まってしまったのです。

とはいえ、条件とかいろいろ決めなければなりません。
わたしも、フィリピンに残れればそれでよいというわけじゃありません。

それからしばらくして、ハリガネ先生に相談しました。
『実は、本社から転勤の話が来ているようで、やめて前から誘ってもらっている2代目ボンボンばか社長のところに行こうかと思っています。』
こう切り出すと、
『それは良かった。来てほしいといってくれるところにいくのが一番ですよ。』
と、いってくれました。

条件は、できるだけよくなるようにといろいろ考えてくれました。
わたしが気がついていなかった年金や健康保険のことを考えて、絶対本社採用にしてもらいなさい。
とか、
家族の医療費や帰国休暇費用などもきちんと話しておいたほうがいいですよ。
とか、
自動車や家の家賃の額なんかも決めなきゃダメです。
などなど、具体的なアドバイスをしてくれました。

ちゃんと書類にして希望を出さなきゃだめだよ。
といわれたので、早速書類を作ることにしました。
もちろん履歴書なんかも作らなければなりません。

こうしてわたしの転職は動き出していったのです。



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posted by マニラのおぢさん at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | おぢさんの昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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