2008年06月27日

信号無視で停められて・・・

熱はだいぶ下がってきました。
のどの痛みも取れて、タバコがおいしく感じます。
鼻は少しぐずっていますが、もともと鼻は弱いので、いつものレベルといえばいつものレベルです。
なんとなく熱っぽいのとだるいのだけが残っています。

明日は、朝早くからゴルフです。
お客さんのコンペで、ほぼ全員と握らなければなりません。
って、勝手にわたしが握っているだけですけど・・・。
この前みたいに111なんて打ってしまったら、生活に支障をきたします。
がんばらねば。。。

さて、昔の話です。

夕方のことです。
事務所から家に帰ろうとして、車を運転していました。
時間は6時ころだったと思います。
少し薄暗くなっていました。

パセオデロハスからマカティアベニューを左折したときにちょうど信号が青から黄色、赤へと変わりました。
知っている人は知っていると思いますが、フィリピンの信号は黄色が異常に短いのです。
ちょうど目の前にお回りがいました。
手を上げて制止しているのが目に入ったのですが、面倒なのでそのまま走り続けました。

運悪く次のボエンディアとマカティアベニューの交差点の信号が赤になり、停止していると窓をたたく音が聞こえます。
(なんだろう?)と思って目を向けると、そこにさっきのお回りが立っていました。
白バイの警官だったのです。
わかっていたら逃げなかったのに・・・。

しぐさで窓を開けろといっています。
しかたがないので、窓を開けました。
おまわり 『俺が止めたのに何で止まらなかった?』
わたし 『すみません。ぜんぜん気がつかなかった。。。』
おまわり 『お前、あそこの信号、赤なのに突っ切っただろう。』
わたし 『わたしが信号に入ったときはまだ青だった。』
おまわり 『そんなはずはない。俺はちゃんと見ていた。免許証を出しなさい。』

ちなみにここまでの会話はすべてタガログ語です。
ここで、免許証を出してしまうと日本人だということがばれてしまいます。
相手が日本人だとわかってしまうと『袖の下』のレートが跳ね上がってしまいます。

わたしは、免許証を出すふりをして、財布を取り出し、100ペソ札を出して渡しました。
・・・・・・はずでした。
『これで勘弁してちょうだい。急いでいるんだから。。。』
お回りが不審な顔をして、『お前、それで話しつけようというのか?』といいました。

???これで話がついてもいいはずなんだが・・・
と思って、手を見たらそこには今はない5ペソ札がありました。
なんと100ペソ札だと思って、5ペソ札を出してしまったのです。

わたし 『違う。違う。これじゃない。。。』
もう100ペソじゃ納得してくれそうにありません。
しかたがないので、なけなしの500ペソ札を出しました。
お回りは、『わかった。今度は気をつけろよ。』といっていってしまいました。

間違えなきゃ100ペソか200ペソで済んだのに・・・・
(T_T) ウルウル



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2008年06月26日

フィリピンで最後を迎えたい・・・

どうやら風邪を引きました。
一昨日の朝、体が痛かったのもどうやら風邪のようです。
昨日は一日寝ていました。
汗をびっしょりかいたので、今朝はだいぶ体調が良くなってきました。
まだ、少し熱っぽい感じがします。

さて、昔の話です。

所長の古い友達で、建設会社をやめてマカティで日本料理屋を開いた人がいました。
その頃、かなりはやっていましたが、日本人がオーナーだと知っている人は少なかったようです。
店の切り盛りは彼女が全部やっていました。
マカティの日本料理屋のほかに、エルミタにクラブを2軒経営していて、なかなかやり手の彼女だったのです。
マカティの日本料理屋は今でもオーナーが変わってしっかり営業しています。

この日本人、日本にも家族がいました。
ある日、診察で末期がんであるということがわかりました。
日本のおくさんや家族と話し合いをして、フィリピンで最後を迎えたいという話をしたそうです。
いろいろとあったようですが、最後のわがままということで日本の家族も納得してくれて、彼女のところにやってきたのでした。
フィリピンの彼女は、献身的に世話をしてくれました。
本人も一時はこのまま治るんじゃないかというくらいまで回復したそうです。

丸山ワクチンというがんの薬があります。
この薬を定期的に日本から持ってこなければなりません。
何とかならないだろうか?という相談を所長にしてきました。
当時、わが社は毎週のように出張者が日本から来ていましたので、所長が昔からのなじみだからということで、このワクチンの運び役を引き受けたのでした。

とはいえ、やはりがんには勝てませんでした。
ワクチンは、3~4回運んだでしょうか?!
あとは必要がなくなったのです。

彼はほどなく帰らぬ人となりました。

知らせを受けた所長は、わたしに花を届けるように指示をしました。
『ひっそりと生きてきた人で花もあんまり来ないだろうから、大きなやつを頼む』といわれ、そのように手配しました。
『今晩、通夜に行くからそのつもりでな。』といわれ、『わかりました。』と返事をしました。
お通夜は、パサイロードの奥の教会のチャペルでした。

仕事が終わって、夕食を所長と一緒に食べたあとで、チャペルにいきました。
フィリピンのお通夜では、一日24時間、ろうそくの火を絶やさないように親族や親しい人が見守ります。
なので、親しければ親しいほど夜遅くお通夜を訪れます。
夜遅くたずねたほうが喜ばれるのです。
わたしたちが訪れたのも10時を回っていました。

彼女が所長を見つけてワクチンのお礼をいってきました。
最期を看取ることができて本当に良かったといっていました。
彼女の偽らざる気持ちだったと思います。

棺の中の本人は、体の大きな人でしたが遺体はやせ細っていました。
ただ顔はとてもきれいで本当に安らかな死に顔でした。
希望通りに最後をフィリピンで迎えることができたことを喜んでいるようでした。

ひっそりと暮らしていた人ですので、お通夜も質素なものでした。
私たちが贈った花がひときわ大きく棺を飾っていました。
ひっそりとした旅立ちだったのです。。。




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2008年06月25日

お隣の老夫婦


この前、2ラウンド続けて111というひどいスコアを出してしまいました。
ミスショットのオンパレードといった感じです。
先週の木曜日と土曜日、場所はサンタエレナとTATです。

木曜日に行ったサンタエレナというのは、あまりやっていませんし、距離があって難しいコースなので、111というスコアにはそんなに驚きませんでした。
ちょっと油断するとそのくらいはすぐ叩いてしまうのです。

ところが、土曜日・・・ホームコースのTATでも111です。
さすがにこれには参りました。
台風が接近していて雨が時折降っていたのですが、ホームコースでの111は許せません。
日曜日に子供たちをつれて練習に行こうと思っていたのですが、台風のおかげでいけませんでした。

明けて月曜日、子供たちの学校が休みでしたし、わたしも早く仕事が終わったので、子供たちをつれて練習場に行ってきました。
ついつい練習にも熱が入りすぎました。
何とか、ショットの精度が戻ってきたように感じます。
どうやら、気があせって右ひじが体から遠くなっていました。
土曜日は、お客さんのコンペで10人以上と握らなければなりません。
111も打ってしまったら、いくら負けるかわからないのです。
少し、自信を取り戻しました。

おかげで、今日は朝から筋肉痛です。
特に左のわき腹というか腰の辺りが痛みます。
左の壁が意識できた結果じゃないでしょうか?
勝手に思っているだけですけど・・・・。

そんなわけで、ちょっと昔の話です。

おくさんと二人でパームビレッジというところに家を借りて住んでいたころ、お隣にはフィリピン人の老夫婦が住んでいました。
わたしが仕事に出かけた後、おくさんがいろいろと仲良くしてもらっていたようです。
品の良い夫婦で、ほとんどリタイア生活だったようです。

だんなさんは、日系の建設業者や工場の人事・総務の仕事をしていた方で、日本人との付き合い方をよく知っています。
『たまにはゴルフでも一緒にやろうよ!』とよく声をかけてもらいました。
そのころは、火災保険のブローカーのような仕事をしていました。

おくさんは、生命保険会社のエリアマネージャーでした。
見かけは、よくいる品のよい優しそうなおばさんだったのですが、それなりにしっかりした人でした。
『娘たちのために学資保険を掛けなさい。』と親身になって勧めてくれたので、学資保険に入ることにしました。
そのころ、学資保険というのは新しい商品で、一種のブームのようになっていました。
大学に入るときに、必要な学費を払ってくれるということでした。
残念ながら、このおくさんは3〜4年前に亡くなってしまいました。
だんなさんが、最期まで看取ったそうです。
とても仲のよい夫婦でした。
それでも、うわさによると奥さんがなくなってすぐにだんなさんは若いガールフレンドを作ってしまったようですが・・・。
この夫婦は、わたしたちが引越しをした後でもよく遊びに来てくれました。
奥さんのとても良い相談相手になってくれていたのです。

すいません・・・オチがありません。。。



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2008年06月23日

ファミリードライバーだからって何でもいいというわけじゃない。。。

昨日はすごい台風でした。
久しぶりにメトロマニラを直撃です。

5時過ぎに寒くて目が覚めました。
少し風邪気味です。
温まろうと思ってシャワーを浴びました。
シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながらテレビの前に・・・・。
ゴルフ番組を見ていたところで、突然停電になってしまいました。
外は、すごい風。
雨はまだそれほど降っていませんでした。

電気が回復したのは午後2時。
風はほとんどなくなっていましたが、すごい雨でした。

今日は台風一過。
すごく良い天気でした。
マニラのひどい大気汚染も昨日の雨で流されてしまったようで、すがすがしい天気です。

台風のせいであちこちでひどい被害が出たようです。
子供たちの学校もお休みになりました。

さて、昔の話をしましょう。

我が家には、一時おくさんの弟夫婦が同居していました。
学校を途中で放り出して今の奥さんと一緒になり、我が家でごろごろしていたのです。
仕事もあのころは探すのが大変でした。

『車の免許でも取らせろ!』というわけで、自動車教習場に通わせるつもりでした。
おくさんも賛成して、弟にお金を渡しました。
ところが、一向に自動車教習場に通う様子がありません。
おくさんに『何で免許取らないんだ?』と聞いたら、『もうとったよ!』といいます。
これには驚きました。
どうやらお金を払うとほとんど無試験で免許をくれるようです。
しかも、プロフェッショナルのライセンスです。
日本でいう二種免許ですよね。
道理で、マニラじゃ交通事故が多いわけです。
まともに交通ルールすら勉強していないんですもの・・・・。

さて、運転免許を手にした弟。
よせばいいのに、運転手の仕事につこうとしました。
免許はあるけど、ほとんど車の運転なんかしたことがありません。

ある日のことです。
当時、我が家のファミリードライバーをしていたにーちゃんの運転手仲間から紹介してもらったアメリカ人の家に面接にいくと張り切って出かけました。
面接を終えて、とりあえずテストを兼ねて送っていってほしいといわれたそうです。
運転のテクニックを見るというわけです。
運悪く、エドサ通りとサウススーパーハイウェーの立体交差のところで、渋滞にぶつかってしまいました。
車は完全にストップしてしまいました。

前の車がのろのろと発進しました。
『坂道発進』です。
クラッチを上手につながないとノッキングを起こして車が止まってしまいます。
そのころの車はみんなマニュアル車です。

案の定、『ガクッガクッ』とノッキングを起こしてエンジンが止まってしまいました。
すぐにエンジンをかけなおして、もう一度トライ。
結局3回くらいエンジンを止めてしまったようです。
アメリカ人は、何も言わず家に帰るようにいいました。
Uターンできるところを探して、家に帰ります。
100ペソくれて、『もう来なくていい!』といわれてそのまま帰ってきました。

『3回くらいエンジン止めただけなのに・・・・』としばらく文句を言っていました。

そんなヤツ雇う人いませんよね。。。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年06月20日

ボホール出張 〜その後〜

昨日、ゴルフでかなり疲れて、ぐっすり眠りたいと思ったので、家についてから近所のフットスパにいきました。
ちょうど息子が散髪に行かなきゃいけなくて、おくさんも肉屋に買い物に行くといっていました。
全部近所にあります。

ちょうど学校から帰ってきた長女と二女が、『私も行きたい。』というので連れて行くことにしました。
おくさんが、『あそこは暗いから何しているのかわからない!』などと不穏な発言をしたので、健全さをアピールするためにも娘も連れて行くことにしたのです。
無実の証明です。
ラッキーだったのは娘たちです。
初めてのフットスパに大騒ぎ。
『静かにしなきゃ、ほかのお客に迷惑だぞ。』といってみましたが、ほかにお客さんはいませんでした。
壁│・m・) プププ

ハイスクールにもなると、何かとストレスもたまるようで『気持ちよかった。』と喜んでいました。
また連れて行けとせがまれそうです。
安いので(日本円で1000円くらい)、助かりますよね。

フットスパで気分も一新したところで、昨日(?)の続きです。

ボゴールから帰ったあと、ひどい下痢に襲われました。
原因は『水』だと思います。
そのころは、今のようにどこでもボトルに入った水が手に入るというわけではありません。
『ここの水は、井戸水だからきれいだぞ。』とぎっくり所長はいっていましたが、どうにも合わなかったようです。
長距離のドライブの疲れも出たようです。

ボホールには、その後もう一度いきました。
地鎮祭の当日です。
すでに準備が終わっていたのですが、式典が終わるまでは安心できません。
全部終わって、来賓を乗せたヘリコプターが現場から飛び立っていったときには、本当にほっとしました。

ボホールには、日本の製鉄会社の出張所がありました。
何とかという鉱物資源の採取をおこなっていたのです。
ここの工事を何年か前にやっていました。
そんなわけで、帰りにここによって、おみやげを渡していろいろお話をしました。
ボホールのような田舎では、生活も大変です。
マニラからステーキ用の牛肉をお土産に持っていったのですが、予想外に喜んでくれました。

さらに、面白いことに日本の商社が和紙の材料になる『こうぞ』を栽培していました。
いろいろなことをしている会社があるものですね。
ここにもよってみましたが、あいにく日本人の方はいませんでした。

そんなことをしていたら、結局遅くなってしまいました。
このときも観光はお預けでした。
この後、ボホールにはいっていません。
もう一度、いってみたいものです。

帰ってから、下痢になったことは言うまでもありません。
(-^〇^-) ハハハハ




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2008年06月18日

ボホール出張 〜その4〜

今日は、久しぶり(?)に暇です。
いつも暇じゃないか!!という突っ込みを入れる人、よくわかっていませんね。
暇なふりをしているだけなのです。
ほんとかにゃあ?
(-^〇^-) ハハハハ

さて、さっき銀行に行ってきました。
近所なので、歩いてもいけるのですが、車です。
シャワーを浴びて下に降りていくと運転手がいません。
どうやらお使いに出かけたようです。
しかたがないので、自分で運転(いつものことですが・・・)しようと思ったら、運転席に汚い靴が一足。
運転手の靴でした。
捨ててやろうかとも思いましたが、心優しい私はそのまま、銀行へ。
帰ってきて怒鳴ってやろうと思ったら、運転手は別な用事で出かけていました。
頭にきたので、メイドに
『運転手に車の中に靴を置くなっていっとけ!
良いにおいでもすると思ってるのか!!
今度、見つけたら捨てるぞ!!!』
と運転手にいっておけと・・・ほとんど八つ当たりです。

スリッパに履き替えて車の掃除などをしているわけですが、その間、靴を車の中においておきます。
年寄りの運転手で、頭が悪くて硬いので困っています。
だんだん、ひどくなってきています。
首にするのもかわいそうですし・・・。
どうしましょう???

と悩みつつ、昔の話しに行きましょう。

ボホールの現場宿舎で一泊した私は、現場所長の案内で現場を見にいきました。
この現場所長、年末にぎっくり腰で入院した所長です。
ぎっくり所長とでもしておきましょうか?!
現場は、少し小高い丘のような原っぱで、ほとんど目印もありません。
少し低くなっている広大なくぼ地があり、ここがダムになるというわけです。
ダムはかんがい用でした。
ブルドーザーが何基か入っていました。

少し、現場の連中に声をかけてみました。
作業員は地元で雇った人たちですので、タガログ語はよくわかりません。
タガログ語で話をしている分にはわかるだろうと思っていた私にしてみれば、少しショックでした。
考えてみれば当たり前なんでしょうが、フィリピンも広いです。
『タガログが来た!』と現場の連中が騒いでいました。
タガログというのは、タガログ語を話す種族、タガログ族のことです。
田舎ですよね。

現場を一通り見た後、少し早いけどお昼を食べようということになりました。
小さな町に戻って、海沿いのレストランに入りました。
床や壁は全部竹でできています。
テーブルも竹です。
灰皿も太い竹の節のところを切っただけのものです。
なかなか情緒があります。

竹でできたカウンターに鍋が並んでいます。
トゥロトゥロというやつです。
ちなみにトゥロというのはタガログ語で『教える』という意味です。
鍋の中に入ったおかずを何種類か選んで、ご飯と一緒に食べる、定食やさんのようなものです。
何を食べたのか良く覚えていませんが、定番の豚肉料理を頼んだんだと思います。
こういうところで食べるのは、こんな田舎にでも行かない限りめったにありません。

お昼を食べた後、タグビラランに送ってもらいました。
ボホールビーチクラブに一泊。
朝、飛行場まで送ってもらって、セブ経由でマニラまで一気にフライトです。
こうして、私のボホール出張は終わりました。
このあと、地鎮祭の前日にももう一度いきました。

ボホールビーチクラブまで行く手前の橋から、漁船のいさり火がたくさん見えたのがすごくきれいだったことを覚えています。
残念なのは、世界一小さいサルもチョコレートヒルも見ていないこと。
もう一度、行かなきゃいけませんね。
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年06月17日

ボホール出張 〜その3〜

すごいですね。
タイガー ウッズ。
最後のバーディパット入れたときの雄叫び、しびれました。
それにしても、ロコ メディエイトに勝たせたかった。
45歳、ちょい悪親父って感じで格好いいですよね。
ひょうひょうとゴルフをしている感じがなんとも言えません。
それにしても、タイガー、あのひざの状態でもう1日やって大丈夫なんでしょうか?
18番で追いついて、棄権って言うのも格好良いとも思うのですが・・・。
明日、どういう結果になるんでしょう?
楽しみですね。

さて、昨日の続きといきましょう。

現地についたときにはすっかり暗くなってしまっていました。
海沿いの道を走っている途中で日没を迎えたのです。
道路の脇の岩場が夕日で真っ赤に染まってものすごく美しかったのが印象的でした。

その日は、現場には行かずに寮に直行しました。
寮は、現場からすぐ近くにある小さな町の大きな一軒家でした。
家賃は驚くほど安かったのです。
平屋で部屋が5つも6つもあります。
日本人の所長の部屋と現地人のスタッフの部屋もあります。

客室に案内されて、荷物を下ろして(といっても小さな旅行かばんひとつです)、食堂にいきました。
現場で雇ったボーイが料理と給仕をしてくれました。
石のたくさん入ったご飯です。
まず、お皿の上のご飯を広げます。
広げて石を見つけてはねるのです。
これを丹念にやらないと、歯をやられてしまいます。
おかずは、なんだか覚えていませんが、スープをご飯に掛けて流し込んだような気がします。

現場の所長は、バナナをおかずにご飯を食べていました。
『慣れるとこれもうまいもんだぞ。』などといっています。
パパイヤやパイナップル、マンゴーなどもおかずになるそうです。
そういえば、フィリピンの人もこうした食べ方を良くしています。
私は、まだ試したことがありません。

その日は、疲れたこともあって、ビールを2本くらい飲んでそのまま寝てしまいました。
フィリピン名物のサンミゲールビールだけはどこにいってもあります。
水が違いますので(汚いという意味ではありません。)、ビールが一番衛生的なのです。
案の定、マニラに帰ってしばらくは下痢をしていました。

次の日の朝、目を覚ましてトイレに行きたくなりました。
トイレは、家の外にあります。
小さな小屋です。
水洗トイレなのですが、水の入ったタンクがありません。
その代わり、便器の横に大きなポリバケツに入った水がおいてあります。
ここから手桶で水を汲んでうんちを流すのです。
手動式の水洗トイレですね。

シャワーもありません。
こっちも大きなポリバケツから手桶で行水です。

散歩に出かけました。
すぐ近くに古そうなとても立派な教会があります。
大きな木がたくさん立っていてとても気持ちよさそうな場所でした。
フィリピンでは、教会が町の真ん中にドンとあって、その周りに小さなお店が並んでいるような風景をよく見かけます。
この町もそんな町でした。
教会の前を通り過ぎてしばらくいくと海が見えてきました。
そこでしばらく海を眺めて、寮に戻ったのです。
なんだかすがすがしい一日の始まりでした。

続きます。




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2008年06月16日

ボホール出張 〜その2〜

ちょっと更新サボってしまいました。

今日は、完全休養日。
ゴルフは、全米オープンを観るほうです。
それにしても、タイガーすごかったですね。
結局、首位に立ってしまいました。
このまま優勝してしまうんでしょうか?
明日も目がはなせませんね。

さて、この前の続きといきましょう。
昔の話です。

セブについた私は、とりあえず予約してあったホテルに向かって、チェックインを済ませてからタクシーで取引銀行のセブ支店に向かいました。
タクシーは飛行場で一日チャーターしました。
初めてのセブでしたし、何か取っ掛かりがないと話にも何にもなりません。
マカティの日本人副社長に頼んで、『こういうやつがこの日に行くので、いろいろと世話してやってほしい。』と頼んでおいていただきました。
この銀行はセブの旧市街にありました。
銀行はすぐにわかりました。
セブの旧市街は、ちょっとした田舎町にしか思えません。
4階建ての銀行のビルが一番背の高いビルだったと思います。
ちょうど、チャイナタウンのような感じです。

銀行に入って、支店長を呼んでもらいました。
ちゃんと話はついていたようで、愛想よく迎えていただきました。
セブが初めてだというと、観光地でも案内しようか?と声をかけてくれましたが、そんな暇はありません。
丁重にお断りをして、ヘリコプターのチャーター便を探してもらうようにお願いしました。
『それならセブの飛行場に行けばすぐにわかる。』といって、一緒にいってくれました。
セブの飛行場は、マクタンの国際空港ができる前に使用していたもので、その頃はチャーター便専用の飛行場になっているようでした。
特に警備も厳しくなくて、車でそのまま中に入れます。
ヘリコプターのチャーター便の会社を見つけて料金の交渉と予約を済ませました。
何とか、地鎮祭当日のヘリは確保できました。

いい加減な時間になっていましたので、そのまま夕食です。
市内にある有名なシーフードのレストランに連れて行ってもらいました。
そのまま、ホテルに送っていただきました。

まだ時間が早かったので、ホテルのすぐそばにあるカジノをのぞいてみました。
ホテルから歩いていけるといいます。
カジノはすぐにわかりました。
格好はマニラにあるのと一緒ですが、規模はそんなに大きくありません。
お客さんもまばらでした。
ルーレットでちょっとだけ遊んで、また歩いてホテルまで帰りました。
疲れていたのでそのまま寝てしまったのです。

次の日、ボホールまで飛行機に乗っていきました。
30分くらいのフライトです。
タグビラランの飛行場につくと、現場から迎えの車が来ていました。
車はマニラから海上輸送で持ち込んだものでした。
たぶん、その島にはまともな車はほとんどありませんでした。
交通手段はジープニーとトライシクルです。
車が着く前は、ジープニーをチャーターして現場に行っていたそうです。
乗り心地が恐ろしく悪いので大変だったようでした。

所長が新しくついた車で、元気そうな顔で出迎えてくれました。
『ご苦労様です、遠いところ大変でした。』
お互いに挨拶をして、まず工事を管轄する役所に挨拶にいきました。
工事が始まる前にクリアにしなければならない問題があったのです。
土地の買収がすすんでいなかったのです。
交渉はほぼまとまっていたようなのですが、地主にまだお金が払われていませんでした。
『交渉の進捗状況を教えてほしい。』
とたずねると、
『交渉は問題なくすすんでいる。後は本局からお金が届けばそれを払ってOKだ。』
といいます。
売買契約書も見せていただきました。
恐ろしく安い土地代です。
確か、2ヘクタールで9000ペソ。
平米あたりに直すと0.45ペソです。
(すごく安いんだ。早く払えばいいのに・・・)
と思いました。

役所の担当者との打ち合わせを終えて、現場に向かいました。
前にも書いたように、海沿いの道を走ること6時間。
ようやく現場の町が見えてきました。
ひどい田舎です。
電力事情が悪く、電気は一日に3〜4時間しか来ないそうです。
それでも、家の屋根にはテレビのアンテナが必ずといってよいほど立っていました。
なんだか、不思議に思ったものです。

長くなってきました。
続きますね。。。



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2008年06月12日

ボホール出張 〜その1〜

今日は、独立記念日です。

昨年大統領が署名した法律によって、祝日は月曜日に変更になっています。
宗教的な色彩の強い日以外は、直近の月曜日に振り替えです。
独立記念日まで、対象にしていいのか?と思いますよね。
ちなみに5月1日レーバーデーも対象だったのですが、労働団体の強い反対によって、この日は振り替えの対象外となりました。

テレビで、独立記念日の式典を中継しています。
外では、花火が上がっています。
でも、お休みではありません。
式典だけは今日なのです。。。
どうなっているんでしょうね?

さて、昔の話をしましょう。

ボホール島でダムを作るという工事を受注しました。
日本政府の無償援助工事です。
地鎮祭をやるということで下見にいきました。
現場のほうは、すでに乗り込みが完了しており、事務所も宿舎の手配も終わっていました。

その頃ボホール島に行く直行便はありません。
いったんセブまでいって、セブからタグビラランというボホールの空港に行かなければなりません。
飛行場のあるタグビラランから現場までは、車で約5〜6時間。
島のほぼ反対側に位置していました。

島の中央を突っ切るとそこまではかかりません。
そこには、有名なチョコレートヒルもあります。
チョコレートのような小高い山がたくさんある世界七不思議のひとつといわれる不思議な光景です。
その頃、島の中央部は共産系の新人民軍(NPA)と呼ばれるゲリラの支配下でした。
通行するには非常な危険が伴います。
『絶対に近寄るな!』といわれていました。
そんなわけで、海沿いの道を通って、6時間掛けて現場まで行ったのです。

このときの出張は、地鎮祭の下準備です。
地鎮祭には、大使館の偉い人が出席することになっていました。
通常のマニラーセブータグビララン−現場というルートを使うとどうしても宿泊せざるを得ません。
しかも、ひどい田舎で、電気も一日のうちに3〜4時間しか来ないようなところです。
まともな宿泊先など影も形もありません。
タグビラランのそばには、ボホールビーチクラブというまともなリゾートがあるのですが、そこまでの往復も至難の業だったのです。
これには頭を悩ませました。

結局、空のチャーター便を使うことにしました。
ヘリコプターです。
セブでヘリコプターのチャーターの予約をすること、これがまず出張の第一目的になりました。
マクタンのエアポートに降り立って、いろいろと聞いて回ります。
『なんとかんるだろう!』という感じで、楽観的に構えるしかありません。
最悪は、マニラからヘリコプターを飛ばすしかありません。
直行は難しくても途中いくつかの空港を経由すればどうにかなるはずです。
『ヘリコプターに乗りたくない』といわれてしまうとどうにもならないのですが・・・。
そこまではいいません。

セブの飛行場は、マクタン島という島にあります。
この島とセブ本島は、大きな橋で結ばれています。
いつも混んでいるところです。
台風のときに船が橋げたに衝突して、この橋が通れなかったことがありました。
ちょうど、この修理中で道路はすごく混んでいました。

マクタン島に降り立った私は、予約してあったセブのホテルに向かいました。
タクシーです。
始めてみるセブシティーの印象は、『ひどい田舎』というものでした。
背の高いビルはまったくありません。
山の上にあったホテルが一番高い建物のような感じでした。
これがフィリピン第2の都市だったのです。
如何に、マニラが突出してフィリピンの中で発展していたのかということを痛感した瞬間でした。

長くなりそうですね。
続きます。



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2008年06月11日

ハリガネ先生の転職 〜その2〜

昨日、夕食会でした。
メンバーは、ハリガネ先生ととつげき営業マン。
ブログの登場メンバーの会食です。
とつげき営業マンがいろいろと悩んでいて、元気をなくしています。
励ます会だったのです。
それにしても、いろいろと難しい問題があるものです。

結局、家に帰ったのは11時近くなってしまいました。
昨日から子供たちの学校が始まっていますので、今朝も5時おきです。
いつものように5時半にアラームをセットして寝たのですが、アラームがなる前に目が覚めてしまいました。
時計を見たら5時10分。
また寝るのもなんですので、そのまま娘を起こしてしまいました。
今になって、眠たくなってきています。
こういうのが老化現象の一つなんですよね。。。

さて、昔の話をしましょう。

新しい就職先が決まったハリガネ先生。
今度は、それまでに勤めていた会社を辞めなければなりません。
社長のところに挨拶をしにいきました。
この社長、覚えている方もあるかもしれませんが、ゴルフをしていて一時プロジェクトからはずされた社長さんです。
いきなり、『気持ちはわかる。俺もやめたいよ。』といったそうです。
そういう会社だったのですね。
そして、ハリガネ先生に、『今度行く会社は今の会社よりもスタッフの実力は落ちるだろうし、一人で乗り込むのも大変だろうから、お前の好きなやつを二人選んで連れて行け!』といってくれたそうです。
ハリガネ先生、社長の厚意にえらく感激しました。
なかなかの社長さんだったのです。
普通、辞めていく部下の将来を気遣ってここまでのことはいえません。

早速、人選に入りました。
なかなかの社長の言うとおり、スタッフの中でお気に入りの社員を二人選びました。
社長に、『この二人をください。』とお願いをしたところ、即座に了承してくれました。
二人とも優秀な人材で、引き抜かれると多少なりと会社にとって損害です。
『その代わり、お前が責任を持って面倒を見るんだぞ。』これもなかなかいえることではありません。

今度は、スタッフ本人の説得です。

この会社は、給料が高いことで有名な会社でした。
しかも、優秀な社員でしたので、中でも安いほうではありません。
今度行くOX社は、それほど給料の良い会社ではありません。
もちろん、日系の大手でしたので、ほかのフィリピン企業などに比べたらずっと良いのですが、今の会社から見ると見劣りします。
約3分の2くらいの給料になってしまうのでした。
それでも二人とも快く説得に応じてくれました。
フィリピン人には、こういう義理堅いところがあります。
驚いたことに、ほかにも『私も一緒に行きたい。』と申し出てくるスタッフが何人かいたのです。
こっちも説得しなければなりません。
『社長との約束で、申し訳ないが連れて行けない。社長の元でがんばってほしい。』こういって断ったのでした。

こうして、新しい職場での仕事がスタートしていったのでした。




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2008年06月10日

ハリガネ先生の転職

今日から子供たちの学校が始まりました。
たった今、おくさんが末の男の子を送って学校から帰ってきたところです。
学校には4人そろって行きます。
『小学校1年生の最初の登校日くらいいってあげなさい。』といって送らせました。
お母さんたち、たくさん来ていたそうです。
そりゃあそうですよね。

学校が始まると道路が混みます。
スクールバスや学校の送り迎えをする車が増えるからです。
フィリピンじゃ、プライベートの学校では送り迎えが当たり前。
迎えに行かないと学校の先生が帰してくれません。
誘拐とか事故とか日常茶飯事なので、ちゃんと見ていてくれるところはありがたいですよね。
自己防衛の観点がしっかりしています。

さて、昔の話をしましょう。

転職を本気で考え始めたハリガネ先生のために一肌脱ぐことになりました。
頭に浮かんだのがOX社です。
この会社は、基本的には責任者を現地で採用することにしています。
現地に密着した人に任せないと運営がうまくいくはずがないという考え方です。
その分、本社からの管理はきついので、現地責任者の権限はずいぶん制限されます。

早速、OX社のうわばみ製造部長と連絡を取りました。
久々の登場ですね・・・・うわばみ製造部長。
同じ頃にゴルフを始めたので、『永久スクラッチ』の約束をして、『お買い物当番』の日などに平日ゴルフを一緒にしたりして、かわいがってもらっていました。
『ちょっと、ご相談したいことがありますので、お時間とってもらえませんか?』
『いいですよ。』
という会話があって、うわばみ製造部長の事務所に伺いました。

『実は、こういう人がいて御社の総務部長でいかがでしょう?』
と話を切り出します。
幸い、うわばみ製造部長は、興味を持ってくれました。
ハリガネ先生、元は大手商社のカナダ駐在員。
英語も良く話せない人の多かったOX社では、のどから手が出るほどほしい人材でした。
『一度お会いしたい。』
ということになって、日程を確認。
ハリガネ先生に連絡をしたら、手放しで喜んでくれました。
今思えば、このとき、OX社にお世話をしたのが本当に良かったのかどうかちょっと疑問も残ります。
でも、早かれ遅かれ、ハリガネ先生は転職せざるを得なかったのです。
数年後に、ハリガネ先生の会社は、工場を撤退して中国に製造拠点を移してしまったからです。
その後、いったんフィリピン工場を再開し、また撤退してしまいました。
なんとも動きの激しい会社です。
工場そのものはまだあるようですので、そのうちまた戻ってくるかもしれませんけど・・・。

うわばみ製造部長とハリガネ先生の面談は、順調に終わったようです。
『すぐに本社に上げて相談してみます。』
ということになりました。
その後、本社に呼び出されて重役面接。
細かい条件などを決めて、無事に転職は成功したのでした。
めでたし。めでたし。。。



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2008年06月09日

おくさんの誕生日は2回あった。。。

今日、6月9日は、おくさんの40と?回目の誕生日です。
昼前から、呼んでもいないのに兄弟や甥っ子・姪っ子がやってきてなにやらやっています。
もう、おめでたい年でもないので、何もしないよって本人は言っていたのに、回りは許してくれないようです。
とにかく理由をつけては我が家に来たがります。
困ったものです。。。

さて、昔の話です。
今日は予定を変更して(そんなものがあったのか?)おくさんの誕生日のお話です。

実は、おくさんの誕生日は、10数年前までは6月8日でした。
子供もできて、いよいよ結婚手続きをしようということになりました。
結婚手続きは、日本大使館の心身症の職員にいじめられて大変な思いをしたのですが、それはまた別の機会に書きます。

結婚手続きには、出生証明書というのが必要になります。
その頃は、今と違って田舎の出生証明書の届出をした役所でもらってこなければなりませんでした。
その頃、おくさんの誕生日は6月8日。
お母さんも本人もそう信じて疑いを持っていませんでした。

バコロドに近い田舎の役所で、証明書を発行してもらうようにお母さんが出かけました。
おくさんのお母さんです。
ところが、記録がありません。
出てきた証明書は、何年か前にシロアリにやられて記録が残っていませんという証明書でした。
これでは、結婚手続きはできません。
そこで、お母さんは、近所の証人を探して、再度出生届を作成しました。
レートレジストレーションというやつです。
これで、出生証明書を取得して、結婚手続きを完了し、日本大使館にも届出をしました。
パスポートもこれで作成し、日本にも2回ほど連れて行ったのです。

しばらくたって、3回目に日本に行くようになったときのことです。
この頃、日本大使館は国家統計局(NSO−センサスというやつです)の発行した“原本と相違ありません”という確認サインのあるものでないと受け付けなくなっていました。
改めて、おくさんのお姉さんが、NSOにいって、出生証明書を取ってきたのです。
このときに、なんと出生届の原本が出てきたのです。
出生届の日付は6月9日。

さて、困りました。
パスポートも結婚関係の書類も全部誕生日は6月8日です。
出生証明書が6月9日。
(どうしよう・・・)と思いましたが、とりあえず大使館にいって事情をお話してお願いすることにしました。

結婚を申請したときの書類一式と、シロアリで記録がありませんという証明書、さらにパスポートと新しく発掘された出生証明書を持って、日本大使館の窓口へ・・・。
『実は、かくかくしかじかで・・・』と話し始めました。
途中まで聞いていた日本大使館の職員さんが、パスポートと書類を見て、
『おくさんはすでに日本に何度もいっていますし、問題ありませんよ。
フィリピンでは良くあることです。
今度、パスポートを作るときは6月9日で作成してくださいね。』
といってくれました。

拍子抜けするほど簡単にビザが降りたのです。
(そうか・・・よくあることなんだ・・・)
こんなの良くあったら困りますよね。

というわけで、今ではおくさんの誕生日は6月9日にお祝いしています。
不思議なのはもうひとつ。
すぐ上のお姉さんの誕生日が前の年の11月の末。
その差が7ヶ月しかありません。
お母さんの話では、二人とも普通の出産だったということです。
これって普通では考えられませんよね。

何がなんだかよくわかりません。
これもフィリピンでは良くあることなんだろうか?
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年06月08日

もうひとつのグルメツアー

疲れています。
太陽と潮風の下で一日過ごすというのは、やはり相当体力を使うものです。
加えて、新しいプロジェクトと友人の人生相談。
重なるときは重なるものですね。

昨日はゴルフに行ってきました。
5時36分のスタートだったので、家に帰ったのは午前中です。
それから昼寝。。。

(-_-).。oOO グゥグゥ・。・。・。

結局、夕方まで眠ってしまいました。
年のせいか疲れが抜けません。
若い頃が懐かしいものですね。
一晩寝ればもう元気だったのに・・・。
(-^〇^-) ハハハハ

というわけで、昔の話をしましょう。

ハリガネ先生とグルメツアーをしていた頃、もう一人私を食事に誘ってくれる人がいました。
OOプラスチックという会社の社長です。
お父さんが日本の社長で、いわゆる二代目です。
典型的な二代目ボンボン馬鹿社長。

先代の創業社長は糖尿病で、病院に入ったきりになっていました。
本社のほうは、取締役秘書室長とかいう肩書きだったと思います。
こちらの現地法人のほうは社長をしていました。

このボンボン、なかなかのグルメだったのです。
しかも浪費家、お金は天から降ってくるものだと思っているとしか思えない感じでした。
なんせ、フィリピンに来るときに、必ずファーストクラス、宿泊もファイブスターホテルのスイートルームです。
その頃、夜便がありませんでしたので、成田を朝早く出発です。
前の晩にどこかに泊まらなければなりません。
後で知ったのですが、必ず帝国ホテルのスイートルームに2泊くらいしていたのです。

そんな暮らしをしていたので、本人も糖尿病です。
その頃はまだ若かったので、まだ、がんがんグルメ振りを発揮していました。
前の記事に書いたMelo’sもボンボン社長に連れて行ってもらったのがはじめでした。
このときは、私が24オンス、ボンボン社長は28オンスを食べたと思います。
席に座るとパンが出てきます。
このパンがおいしくてお変わりをして食べてしまいました。
スープから始まって、サラダ(私は食べなかった)、メインのステーキ(付け合せはガーリックライスでした)、もう動けないくらいでした。
ボンボン社長が『デザートは何にしましょうか?ここのティラミスおいしいですよ。』といいます。
(まだ食べるんかい?)と思いましたが、コーヒーで流し込みました。
ものすごい量です。
ボンボン社長、けろっとしていました。

その頃、エドサどおりにふるさとという日本料理屋がありました。
ロハス大通りにあるのが1号店で、ここが2号店でした。
その後、このお店は交通の便が悪かったこともあって閉鎖してしまいました。
ここで、すしカウンターに座って、板さんを前にすしを思いっきり食べたことがありました。
ボンボン社長、お酒は飲めません。
アルコールを飲むと心臓の動きが鈍ってくるのだそうです。
この板さん、今は独立してマカティで自分のお店を開いています。
自分の苗字を屋号にしたお店で、おいしいのですが高くて有名なところです。
時々、ローカルのマーケットであったりしますが、なかなかお店のほうにはいけません。
10年位前からほとんど外食というものをしなくなってしまいました。
用がないのです。
家で食べたほうがおいしいし・・・。
話がだいぶ横道にそれてきました。
この板さんが、会うたびに『あのときの二人はすごかった。お酒も飲まずにあんなに召し上がった方は初めてでした。』というくらいです。
とにかく2時間くらいカウンターの中にあるネタを端から食べていったような記憶があります。

このボンボン社長、何とか自分の代になったときに味方になってくれる人を探していました。
先代の社長が長くないことは誰の目にも明らかでした。
自分が社長になったらどうしようか?ということを彼なりに考えていたようです。
『うちに来てくれませんか?』という話を食事をするたびに言われるようになっていました。

続きます。。。。



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2008年06月06日

家族で釣りに行ってきました。

今日は、昔の話はお休みです。
たまには最近の話もいいでしょう!

水曜日、釣りに行ってきました。
家族と一緒です。
子供たちの夏休みが今週で終わるというのに、今年はどこにも連れて行ってやれませんでした。
せめてもの思い出にということで、日帰りのフィッシングを強行です。

朝の4時に起きて、子供たちを起こしました。
いつもならなかなか起きない子供たちも一発起床、さすがです。
5時に出発、途中道路が混んでいて、思ったより時間がかかってしまいました。
アラバンの橋を降りたところでトラックが1台つぶれていたのです。
もう少し先だったら2車線確保できたのに、おかげでそこは1車線しか通れません。

8時にマタブンカイ到着。
釣り場まで約2時間です。
釣り始めたのがもう10時近かったと思います。
釣果はいまひとつでしたが、天気もよくてなかなか気持ちよく過ごせました。

CIMG2552.JPG

ところで、この雲、男の人がポーっと口をあけているように見えませんか?
右上を向いています。
面白かったので写真に残してみました。

いつもと違って家族が一緒です。
私の隣で8歳の息子が一生懸命釣っています。
まだまだ勝手がわからず、オモリが底についたかどうか見ていてあげないといけません。
「まだ?」
『まだまだ・・・』
などと会話をしながら面倒を見ていました。
おかげで、いつもの3倍疲れてしまいました。
息子は、それでも6匹つり上げました。
娘たちもそれぞれ何匹か釣ったので、ボーズはひとりもいません。
途中で、二女が少し気分が悪くなったようですが、ちょっと寝たら回復しました。

釣り場を出たのが4時半。

マタブンカイの浜についた時には7時近かったのです。
車に乗り込んで、家に帰る途中、おくさんがおなかがすいたと言い出しました。
『ラーメンが食べたい。』というので、サンタロサのラーメン屋に。。。
おなかが張ったら、眠くなって家に帰るまでが大変でした。
後ろでは、おくさんをはじめみんな爆睡!!
隣の二女だけが起きていてくれました。
『おなかが痛い。』とか言っていましたけど・・・。
すでに時間は10時。
こんな時間でも工事のおかげで、結構道路が混んでいます。

家に着いたのは結局、11時を回ってしまいました。
思いっきり疲れた一日でしたが、とっても楽しかったです。

これで、もう少し釣れればいうことなかったんですけど・・・・。
また、連れて行けってうるさいんだろうな・・・
(-^〇^-) ハハハハ



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2008年06月03日

グルメツアー?

昨日、月例会で優勝したときのお話をしました。
同じ組のメンバーは、私とよく月例に出てくる顔なじみの日本人、それにフィリピン人が二人でした。
フィリピン人二人は始めてみる顔でした。

スタートホールでティーショットを打ってから歩いていく途中で、フィリピン人に一人ずつ声をかけました。
もちろんタガログ語です。

一人目の彼、
I'm sorry, I thought you are Japanese.
ですって。
訳すると『ごめんなさい、あなたは日本人だと思っていた。』
・・・・日本人なんですけど・・・・

もう一人、
Are you Philipino or Japanese?
『あなたはフィリピン人ですか日本人ですか?』
・・・・思わずフィリピン人と答えてしまいました。
あわてて、日本人と言い返しましたけど。。。

その後、二人ともよくあるご質問。
『何でそんなにタガログ語がうまいんだ?』
20年もすんでたらうまくなりますよね。


よくあることです!


さて、昔の話をしましょう。

尊敬する大先輩とは、その頃よく食事を一緒にしていました。
ものすごくスリムでダンディな方なので、ハリガネ先生と呼ぶことにします。
(なんで???・・・・なんとなくです。いい名前が思いつきませんでした。)
いちいち“尊敬する”とつけるのが面倒です。

よく行ったのは、パサイロードにあった“Melo’s”というステーキやさん。
当時は珍しかったアメリカ産のアンガスビーフのリブアイをかたまりでもってきます。
お客の目の前でそれを希望の大きさに気って焼いてくれるのでした。
その頃はまだ若く食欲も旺盛でしたので、20オンスくらいは平気で食べていました。
ハリガネ先生は7オンスくらいです。
それでよくおごってもらっていました。

このお店にはハワイ産のコナというコーヒーがあります。
バニラのような甘い香りのするコーヒーです。
このコーヒーを飲みながら遅くまで話をしたものです。

このお店、いつの間にかなくなってしまいました。
グリーンベルトにローストビーフの支店を出したのですが、少し値段を安くして大衆店にしてしまいました。
こっちは、安っぽくて好きになれません。
この前、久しぶりにアラバンで店の看板を見つけました。
さっそくハリガネ先生といってみたのですが、店の内装や雰囲気がガラッと変わっていて昔ほどの感動はありません。
なんだか高いだけ。
あの時代だったから感動したのですね。

ハリガネ先生には、今でもお互いに情報交換や悩み事の相談など仲良くしてもらっています。
最近ではあまりおいしいと思えるお店がなくなったのが、悩みの種です。
おいしいものが少ないときに、おいしい店を見つけるっていうのが感動でした。
最近は、平均点が上がってきているせいで、『ここは?!』というところがありません。

最初のうちは、食事の後にカラオケなんかも行っていました。
ハリガネ先生、お酒を飲まないくせにカラオケが嫌いじゃありません。
私はあまり好きじゃないのですが、私が嫌いなのは『酔っ払い!』なので、お酒を飲まない人と一緒ならOKです。
『行ったことのないところに行ってみよう!』
などといって、マカティアベニューなどを徘徊したものです。
店で頼むのは、『アイスコーヒー』、ぐるっと店内を見渡して、ママさんらしき人物をつかまえて『この店のシステムはどうなっているんだ?』などとたずねます。
一通り、話を聞いて、『OKさよなら!!』などといって店を出てしまいます。
これで4軒くらいはしごしたこともありました。
社会見学ですね。

その頃、ハリガネ先生の悩みは、『早く会社を移りたい。』というものでした。
前にも書いたようにその頃、彼の会社は工場が2交代勤務、日本人は朝勤の始めから夜勤の終わりまで会社にいるのが当たり前という会社です。
ほかにも、日本に帰国命令が出た人が帰国したら机がなかったとか、いろいろな話を聞かされました。
代表の逆鱗に触れて、辞めざるを得なかった人たちがたくさんいたのです。
『日本に帰れ!』というのは『もういらない!』というのとイコールなんですよといっていました。
ボーナスが年間で6ヶ月も出たと思ったら、次の年に1ヶ月しか出ないなどということが日常茶飯事だったそうです。
それが全部、代表の評価によるものでした。
会社の業績のせいではありません。
すごい会社ですよね。

そんなわけで、早く仕事を見つけてほしいと毎回のように頼まれていました。
そこで、私も真剣にハリガネ先生の就職先を探すことにしたのです。

長くなってきました。
続きます。。。



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2008年06月02日

海外支店責任者会議親睦ゴルフ

更新、サボりがちになってきました。
最近、何かと周りの人たちが大変で、いろいろと相談を受けたりしています。
みんな必死にがんばっているんですよね。

昨日、月例会でした。
参加者が少なかったのですが、見事優勝です。
前回優勝したのが5年以上前だったと思いますので、実に久しぶり。
2アンダーというスコアでの優勝ですので、たぶんに運がよかったのです。
普通だと5アンダーくらいじゃないと優勝できません。
ちなみに前回も同じ2アンダーだったのですが、4位でした。

さて、昔の話をしましょう。

わが社の海外店所の代表者会議をマニラでやろうという話が持ち上がりました。
それまでは、日本でやっていたのですが、フィリピンの成績が良くなってきたことと、たまには本社以外でやるのもいいだろうということで、マニラでやることになったのです。
その頃の海外店所は全部で5つくらいだったと思います。
所長さんたちは、みんなフィリピン駐在経験者、癖のある人たちばかりです。
いずれも負けず劣らず、フィリピンの大ファンたち。
会議なんかそっちのけで走り回るのに決まっています。
本社の海外部の人たちもフィリピンは大好きです。

会議は、全部で15人くらいの出席です。
マニラガーデンホテルの会議室を予約して、会議をおこなうことにしました。
会議以外の日程は、工事見学とゴルフ。
工事見学は、施工した工場と港の工事を見学しました。

さて、ゴルフです。
場所はTATフィリピナス。
ここで、問題が起きてしまいました。

海外部の部長が、会議の直前に足を怪我してしまったのです。
車のドアに思いっきり足を挟んだのです。
もちろん、日本の自宅で。
どうやら車に乗ろうとしたところをまだ足が外に出ているのに気がつかずに、息子さんが思いっきりドアを閉めてしまったそうです。
間抜けな話ですよね。

さて、この部長、ゴルフが大好きです。
この会議もフィリピンでゴルフがやりたいがために設定したようなものです。
『どうしてもゴルフをやる。』といってききません。
スイングに問題はないので、歩くときだけカートがあれば大丈夫・・・といっています。
TATにはカートがありませんでした。
『何とかしてほしい。』と無理やり頼み込んだところ、その日だけ特別にトライシクルを入れてくれることになったのです。
その代わり、走っていいのはカート道だけ。
といっても、カート道が全部整備されているわけではありません。
結局、ラフぐらいまで入っていました。

後にも先にも、ゴルフ場にトライシクルを入れてゴルフをした人ってほかにいないんじゃないでしょうか?
もちろん、平日でしたよ。
(-^〇^-) ハハハハ



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